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2010年12月 8日 (水)

【短考】短歌において「どう書くか」の重要性がだんだん低くなる理由

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こんにちは。管理人です。
好きなタイプは蕎麦を食べる系後輩女子です。
どうぞよろしくお願いします。

さっそくですが、今回は前回のつづきです。

簡単におさらいしますよ?   

「短歌は何を書くかよりどう書くかが重要だ」

という意見がありました。

これは確かにもっともです!
でもそれだけじゃないような気がする・・・・・・。

そしてその違和感の原因として、

どう書くかが重要なのは初級のあいだの話で、
中上級になってくると、

「何を書くか(テーマ)」の重要性がより高まってくるのではないか?

という仮説を提示しました。

ここまでが前回の内容です。

今回はその仮説に妥当性があるのかを検証していきます!
といってもそんなに大層な話じゃないので、かるーく読んでくださいね。


■好きな歌人ランキング

まずは質問です。

みなさんの好きな歌人は誰ですか?
3名くらい頭に思い浮かべてください。

あ、短歌を知らない人は、
川柳でも詩でも小説でも漫画でもいいので、
自分の興味があるジャンルに置き換えてくださいね?

思い浮かべましたか?

では、次の質問です。
今思い浮かべた人たちの技術レベルを順位付けしてください。

(チクタクチクタクポーン)

さらに、次の質問です。
今思い浮かべた人たちの技術レベルを100点満点で採点してください。
ちなみにあなたの点数を70点としましょう!

(ポクポクポクチーン)・・・・・・木魚?


■みなさんの答えを予想します!

もちろんみなさんの答えを知る由はないんですが、
きっと、採点はできなかったか、
できたとしても同じような点数になったんじゃないでしょうか?

80点台とか90点台とか、高得点でだいたい固まっちゃうとか。
違うかな?

言いたいことはこうです。

技術レベルはある一定のレベルを越えるとほとんど差がなくなる

もう少し正確に言い直すとこうなります。

技術レベルはある一定のレベルを越えると、受け手への影響が小さくなっていく

すごーく簡単にいうと、
もともと技術的にすごかったひとが、
さらに技術レベルをあげたとしても、
読み手の感動が比例して増すわけじゃないってことです!

これって多くの読者の実感に近いんじゃないでしょうか?

何故そうなのかについての答えを持っているわけじゃありませんが、
経済学でいう「限界効用逓減の法則」はその有力な原因仮説だと思います。

限界効用逓減の法則 - Wikipedia

つまり技術レベルを上げれば上げるほど、
上昇あたりの読者の効用は薄くなっていくというわけですね。


■好きな作品なのに間違えて覚えている人が多いのは何故なんだぜ問題

最後に、前回のエントリーでも触れたこの問題についても簡単に。

ここまでの説明を読んできたら予想がつくかもしれませんが、
結局これも「受け手が得られる効用」の問題だと思うんですよね。

作り手としては、
魂を込めて一字一句にこだわり抜くわけですが、
読者にしてみれば「てにをは」がちょっと違っても得られる効用に大差はないわけです。

だから正確に覚えるインセンティブがない。
だから間違える。

もちろんそれは受け手の「感度」の問題かもしれません。
作り手としてそう言いたくなる気持ちもわかる。

でもそれが現実です。

*

今回の記事はいかがでしたでしょうか?

ところで!

実はこのテーマは今回が最後じゃありません。
あとちょっとだけ続くんじゃ。

次回は、まとめというわけじゃないですが、
「じゃあ中上級で大事なのはなんなんだぜ?」
という疑問に取り組んでみようと思っています!

ではまた!

P.S Twitterの #idealgirls もよろしく!

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短歌のことを考えました」カテゴリの記事

コメント


どうも、関西うどん系女子代表です!
やっぱり粉もんやで!

前回から、次の記事にワクワクしてました。
前半の技術については
「そうかも〜!」と思いました。

でも「てにをは」については
「そうかな〜?」と思いました。
多分、自分が「てにをは」にこだわっていて
人の作品を見ても
「ここは『を』じゃなくて『に』の方がいいな」
と思ってしまうからだと思います。

でもまあ、受け手の感度の問題ですよね。
受け手が私じゃなければ
そんなに気になってないかもしれないし。

あと、私は自分が『に』だと思っていても
作者が『を』とした時は
その意味を考えてみます。
もしかしたら、私はまだわかってないけど
ここは『に』じゃなくて『を』じゃないといけない必然性があったのかも…と。
でも、これも受け手の感度の問題で
結局はどんな人に短歌を伝えたいかで変わってくるのかも
と、最終的には落ち着きました。

うん!我ながらまとまらない文章!

投稿: 檀可南子 | 2010年12月 9日 (木) 09時07分

好きな作品なのになぜ間違えて覚えてしまうのか?について。
私の場合は好きな短歌をどう記憶しているか?と考えてみました。好きな作品であればあるほど、くっきりと絵が思い浮かび、その絵の状態で記憶に残ります。感動したということは、作品の中の何かが私の中の何かに反応して、別の何かに変化することだと思います。だから、その短歌を思い出すとき、つまり絵を再び言葉に戻すときに、元の言葉とのずれが生じるのではないか?と考えてみました。私の場合はそういう感じです。でも他にもいろいろパターンがありそう。続けて考えていきたいテーマだと思いました。

投稿: 実山咲千花 | 2010年12月 9日 (木) 22時38分

檀可南子さん、実山咲千花さん

いずれも興味深いご指摘です!
あらためてしっかりコメントバックしますね。

取り急ぎお礼まで。

投稿: 管理人 | 2010年12月10日 (金) 08時00分

本記事の補足的なつぶやきを
岡ちゃんがTogetterにまとめてくれました。

http://togetter.com/li/77360

未読の方はぜひぜひ。

>檀可南子さん

上のリンクでもつぶやきましたが、
「読者の読解力」と「ディティールへのこだわりの大切さ」を
過小評価していたと反省しています。

---
あと、私は自分が『に』だと思っていても
作者が『を』とした時は
その意味を考えてみます。
もしかしたら、私はまだわかってないけど
ここは『に』じゃなくて『を』じゃないといけない必然性があったのかも…と。
---

これは逆に、今回の記事があながち外れていないことの証左となる感想ですね。
必然性はあるんだろうけど、よく考えないとわからない。考えてもわからない状態。
明らかに効果という観点では限定されているわけです。

作り手でもある檀可南子さんでさえそうなのだから、
一般読者は推して知るべしですね。


>実山咲千花さん

実に興味深いご意見です!

上のまとめの最後で米満さんが指摘している、
「すべての作品は、読者が読んだ瞬間に、作者と読者の共作になる」と通じる考え方ですよね。

間違いなくそういう側面はあるし、確かにそれは誤った引用につながりそうです。

それとは別に、この「共作」という考え方は、
突き詰めると面白そうなので、いずれなんらかの形でまとめてみます。

ありがとうございました。

投稿: 管理人 | 2010年12月12日 (日) 21時18分

はじめまして。
いつもこっそりと拝見しています!
これからも、更新楽しみにしていますね♪

投稿: りん | 2010年12月15日 (水) 23時13分

りんさん

遅くなりましたがコメントありがとうございました!
これからもこっそりと、そして時には大胆不敵に読みにきてください。

投稿: 管理人 | 2010年12月19日 (日) 02時29分

この記事へのコメントは終了しました。

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