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2011年9月11日 (日)

911から10年 - 映像の力と不公平さについて考えた

911から10年ということで、その当時考えたことを少し。

*

2001年9月11日、日本時間の22時ごろ、
ニューヨークのワールドトレードセンタービルに旅客機が体当たりするテロ事件が起きた。

当時21歳で、学生だった僕は、八王子で友達と飲んだ帰りで、
相模原に向かう横浜線の社内で出発を待っていた。

その時、携帯に見慣れないメールが届いた。

それはJ-Phone(!)から初めて届いた緊急メールで、
飛行機がワールドトレードセンターに突っ込んだと書いてあった。

戦争だ。

そんなふうに思ったことを覚えている。

*

家に帰ってTVをつけると飛行機がビルに突っ込みビルが倒壊するという
現実離れした映像が繰り返し流されていた。

しばらくしてそれがイスラム過激派のテロ行為だということがわかった。

当時住んでいたマンションは米軍基地のすぐ近くだったので、
個人的にもテロの恐怖はそれなりに実感があった。

ご存知のとおり、あの事件の後、
アメリカそして世界はアフガニスタンそしてイラクとの戦争に突き進んでいくことになる。

今考えるとあの事件がアメリカのプレゼンスの低下、世界の無極化のはじまりだったのかもしれない。

*

さて、今回僕が書きたかったのは、そんな壮大な話ではない。
僕が書きたいのは「映像の力」とそれがもたらす「不公平さ」についての話だ。

*

後に「アメリカ同時多発テロ事件」と呼ばれる事件は、
世界中に大きな驚きと同情をもたらした。

アメリカに対する同情と連帯の意識。
そしてテロに対する怒りは世界的に広がったし、
それがアフガニスタンやイラクに対する戦争に
国際的な正当性を与えることにもなった。

直接の犠牲者だけで、
約3000人もの人びとが亡くなったわけだからそれも当然のように思える。

でも本当にそうなのだろうか?

*

大手国際NGOのオックスファムによると、
規制されていない武器による死者は1年で50万人(1日に1440人)に達するらしい。

あるいは、清潔でない水を飲んだことによる、
下痢性疾患で亡くなる子どもの数は1日に5000人に及ぶそうだ。

世界中に悲劇はあふれている。

でもこれらの悲劇はアメリカ同時多発テロ事件ほどの同情を集めていない。
同じくらいの犠牲者が毎日のように出ている現在進行形の悲劇であるにも関わらず。

*

理由はいくつか考えられるけど、
大きな理由のひとつが「映像の存在」だと思う。

どこか遠くの発展途上国で起きているような
規制されていない武器による事件はニュースになることはない。

それに大して、ワールドトレードセンタービルに旅客機が突っ込む映像は、
世界中で何回も何百回も放送された。

映像があるからこそ、被害の実態や悲劇の度合いが実感的に理解できる

でも「下痢性疾患で1年で50万人の子どもが死んでいる」というのはただの文字情報だ。
それを実感的に理解するのは難しい。

少なくとも大勢の人たちにとっては。

*

映像の力はすごい。

それによって僕たちは被害者の心情をより理解できるようになる。

でもそれは、同じような悲劇があったとしても、
映像がなければ、その分理解されないということを意味している。

映像は不公平だ。

そして世界で現在進行形で起きている悲劇は、
まさにそんな不公平さの犠牲者でもある。

*

911から10年。
そして311の東日本大震災から半年。

犠牲者を悼むときには、
思いだされることのない多くの犠牲者のことも忘れないようにしたい。

世界が不公平ならば、
僕は不公平に扱われる人たちに光をあてる人間でありたいと思う。

とても難しいことだけど。

*

まじめか。(たまにはなー)



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