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2011年9月11日 - 2011年9月17日の4件の記事

2011年9月15日 (木)

ウィトゲンシュタインの物差し

# 今日は仕事で力つきたので某所からの転載です


こんにちは。あたいだよ。
今日は「ウィトゲンシュタインの物差し」の話をします。

これは、最近読んだ『まぐれ』という本の中に
ちょろっと出てくる言葉で、著者の造語です。


■実名vs匿名論争ふたたび

さて、話は変わるようですが、
ちょっと前に「実名vs匿名論争」がTwitter上で盛りあがりましたよね。

全部は読んでないのですが、
議論の軸のひとつに「説得力」があったと記憶しています。

実名のほうが説得力がある、
と主張できる根拠はいくつか思いつきますが、
「発言者を信頼しやすい」ことがひとつ大きな根拠になりそうです。

でも、なんで信頼できることが大事なんでしょうね?

そこで「ウィトゲンシュタインの物差し」の出番です!


■当てにならない物差しは何を測っているのか?

これはベイズ統計で使われる
「条件付情報」という考えがベースにあります。

以下『まぐれ』から引用します。

-----------------

誰かが何かを言うとき、
その人が十分にふさわしい条件を持っていないかぎり、
伝えようと思ったことよりもむしろ、
その人自身のことのほうがずっと明らさまになる。

*

好意的なものでも否定的なものでも、
書評は本そのものよりも書評を書いた人のことをいろいろと描き出す。

*

物差しでテーブルの長さを測っているとき、
とても信頼できる物差しでなければ、
同時にテーブルで物差しの長さを測っていることになる。

*

物差しが当てにならなければならないほど、
得られる情報は物差しに関するものが多くなり、
一方テーブルに関するものは少なくなる。

*

アマゾン・ドット・コムに名無しの読者が書く書評は
書評を書いた人自身についてしか語らない。
一方、能力のある人が書いた書評からは本に関する情報がたくさん得られる。

-----------------

つまり、信頼できない人であればあるほど、
その発言の内容そのものではなく、
その人自身の思考力が評価されてしまう、というようなことです。

ウィトゲンシュタインの物差しからすると、
匿名の人の発言に説得力がないのは当然というわけですね!


■ちゃぶ台がえし

さて、鋭い人は気づいていたと思うのですが、
ここまでの話は、

・実名→信頼できる→発言の内容について情報が豊富→説得力が高い!

・匿名→信頼できない→発言者自身についての情報ばかり→説得力が低い・・・


という因果関係を暗黙の前提としていました。

でも実名だから信頼できるかと言ったら必ずしもそうじゃないですよね。
(匿名だから信頼できない、とは言えるかもしれないけど)

むしろこの場合の実名は「有名」に置きかえたほうがいいかもしれません。

そして確率論に根ざした
「ウィトゲンシュタインの物差し」が主張する事柄にも注意が必要です。

どういうことかと言うと、この考えってすごーく理性的なわけです。
そして僕たちはものすごーく情緒的な生き物なので、
あまり複雑なことは(頭ではわかっていても)心ではわからなかったりします。

つまり簡単に言ってしまうと、

「実際の発言に接したときにそんなこと考えねえよ!」

ということです!(どーん)

最後にふたたび『まぐれ』から引用します。


-----------------

私の情緒システムはウィトゲンシュタインの物差しがわからない。
その証拠に、褒められれば褒めてくれた人が誰だろうとうれしい。

-----------------


ま、そういうことですねー。



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2011年9月13日 (火)

【誤読の部屋】第5回「あの人の小学生を見るときの機械じかけの夢をおそれて(星野しずる)」

クリスマスを3ヶ月前倒しでdisりたい今日この頃。
みなさんはどうお過ごしでしょうか?

君だけの僕こと俺です。

今日はいいニュースがあります!

世界3大部屋のひとつである我らが「誤読の部屋」
(たぶん)1年ぶりくらいの復活です!

全世界で5、6人はくだらないという
ゴドキストたちの歓喜する様子が目に浮かぶようです・・・・・・。

いや。つまらない感傷はよしましょう。
さっそく誤読の部屋をはじめようじゃありませんか!

おわり














■今宵の誤読


 あの人の小学生を見るときの機械じかけの夢をおそれて(星野しずる)



さて、なにもなかったように鑑賞をはじめます。

お歌の作者は、本コーナーではお馴染みの星野しずるさん。

短歌はしばしば「私性の強い文芸」と評されます。
従って鑑賞をするにあたっては作者への理解が不可欠。

そしてご存知のとおり星野しずるさんの本性は「淫乱」
それも「ど」がつく「淫乱」、「ど淫乱」です。
(これほど「ど」が似合うのは他には「ドーナツ」くらいです)

故にこの作品も「えっちな歌」である。
そのことを前提として鑑賞をはじめない手はありません。

ではどこがえっちなのでしょうか?

ブラウスのボタンをひとつずつ外すように、
作品を一単語ずつ読み解いていくことにいたしましょう。

*

まず「あの人」ですが、これは作者の恋人と考えるのが自然でしょう。

歌人の実に98%は自己中心的な恋愛馬鹿です。
したがってそのまなざしの範囲は狭く、ほとんどが想い人にしか向けられません。

これは短歌を鑑賞をするうえで
最初にならう「いろは」(四十八手でいえば正常位ですよ?

次に「小学生」ですが、これはなかなか高度な比喩です。

中学生でも高校生でもなく小学生。
これは何を意味しているのでしょうか?

まず思い出すべきは、この作品が「えっちな歌」であるという事実です。
そして「あの人の小学生」というふうにひとまとまりに読むのが自然だということです。

もうわかりましたね?

「あの人の小学生」とは「恋人のおてぃんてぃん」のことです。
それも「ちいさくてつるつるなひらけないぽんきっき」なアレでしょう。

このあたりの高度な比喩表現はさすが星野しずるさんですね。

次の「を見るときの」は特に説明不要でしょう。
主人公は蔑んだ目でぽんきっきを見ているわけです。

「ひらけないぽんきっきなんてムック以下だわ・・・・・・。毛もないしな」

そんな心のつぶやきまで聞こえてきそうですね。

さて。ここからがこの作品の核であり最も解釈の難しい部分です。

「機械じかけの夢」

これはどういう意味なのでしょうか?

「機械じかけ」と聞いて、
みなさんがすぐ頭に浮かべるのは「ピンクローター」のことでしょうが、
私はむしろ逆で「電気アンマ」のことだと考えました。

何故なら「ピンクローター」だと、
大きさ的に「あなたの小学生」との対比が際だたないからです。

勃たない。これは由々しき事態です。
従ってやはり電気アンマと解釈するのが自然でしょう。

そして「機械じかけの夢」と続くわけですから、
「電気アンマでGO☆TO☆HEAVEN」という意味で間違いありません。

間違いありません。

しかしこの後が問題です。

「をおそれて」

「電気アンマ☆DE☆GO☆GO☆HEAVEN」という意味だとしたら
作者は何故おそれる必要があるのか・・・・・・。

このように解釈に悩んだとき、プロ歌人は語義にあたるのが常です。
それも信頼のあるオックスフォード大辞典(原書)にあたるのが私の流儀。

オックスフォード大辞典によると「おそれ」とは次のような意味です。

1 こわがる気持ち。恐怖。不安。「将来への漠たる―」
2 敬い、かしこまる気持ち。畏怖(いふ)・畏敬(いけい)の念。「神の偉大さに―をいだく」
3 よくないことが起こるかもしれないという心配。懸念。「自殺の―がある」

(Yahoo! Japan辞書より引用)

なるほど。1の意味で捉えていたからいけなかったのです。

3の意味で作品を読みかえした瞬間、
作品の真の姿がありありと目の前に広がりました------

 恋人とエッチをしようとパンツを脱がせると、
 粗末でつるつるな小学生みたいなおてぃんてぃんが目に入った。
 
 私の脳裏に電気アンマのもたらすめくるめく快楽がよぎる。

  思わず私は言った。

  「電気アンマとエッチするわよ」


男の不憫さに泣ける・・・・・・。



■今宵の改作


ただしそのような意味であるならば表記の仕方を工夫したほうが親切でした。


 あの人の小学生を見るときの「機械じかけの夢をおそれて」(星野しずる)


このようにすることで男を脅迫する凄みが出てくると思います。
ここまで言われたら男としては奮起するしかないはず。

今宵も素敵なお歌をありがたう。

*

さて、今回の誤読の部屋はいかがでしたでしょうか?
みなさんの短歌スキルの向上に役立てばこれに勝る喜びはありません。

それではまた。

*

<参考>物好きなあなたに捧げる「誤読のバックナンバー」

第1回「僕だけの集中力を待っているゆれる体を見ていたら夢(星野しずる)」
第2回「にぎやかなアスパラガスから飛び出したゆれる女王に飽きている母(星野しずる)」
第3回「幾何学を忘れ目覚めの週末を集めて風の幾何学でしょう?(星野しずる)」

第4回「誠実な機械じかけの僕のままホットミルクを拾い上げれば(星野しずる)」

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2011年9月12日 (月)

短歌おじいちゃんの知恵袋 其の一

こんばんは。
短歌おじいちゃんじゃよ。

ほっほっほ。

いきなりの新きゃら出現に驚いている
みなの顔が目に浮かぶようじゃわい。

喝!(えー)

新きゃらの出現程度で驚いておるとは情けない……。
お里が知れるとはこのことじゃな!

はあはあはあ。

まあよい。
今日はねたもないので軽いおしゃべりじゃ。

*

突然じゃが、

「おもしろければなんでも許されるのか?」

とか言う人がおるじゃろ?

ぶ、ぶら、ぶらっくゆーもあ(ふがふが)を不謹慎と断ずる御仁じゃな。

確かに微妙な冗談というのはありそうじゃ。

深く考えると難しい問題かもしれん。

しかしわしは思うんじゃが、

「おもしろいと思った時点でその人はその発言を許している」

ということは言えるんじゃないかのう?

そうだとすれば、

「おもしろければなんでも許される」

と言うことになりそうじゃし、

「おもしろければなんでも許されるのか?
と思う人は、おもしろくないから許していないだけ」

ということなのかもしれんなあ。

*

まあこの話に落ちはないんじゃが、
もしお主たちが、ぶ、ぶら、ぶらっくゆーもあ(ふがふが)に傷ついたときには、

「おもしろければなんでも許されるのか?」

と問うよりも、

「つまんね」

と切り捨てたほうが有効なんじゃないか、と短歌じじいは思うわけじゃ。

*

まあ老い先短いじじいのつまらんお節介と思って聞き流しておくれ。

それではさらばじゃー。

地獄で待っておるぞー。

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2011年9月11日 (日)

911から10年 - 映像の力と不公平さについて考えた

911から10年ということで、その当時考えたことを少し。

*

2001年9月11日、日本時間の22時ごろ、
ニューヨークのワールドトレードセンタービルに旅客機が体当たりするテロ事件が起きた。

当時21歳で、学生だった僕は、八王子で友達と飲んだ帰りで、
相模原に向かう横浜線の社内で出発を待っていた。

その時、携帯に見慣れないメールが届いた。

それはJ-Phone(!)から初めて届いた緊急メールで、
飛行機がワールドトレードセンターに突っ込んだと書いてあった。

戦争だ。

そんなふうに思ったことを覚えている。

*

家に帰ってTVをつけると飛行機がビルに突っ込みビルが倒壊するという
現実離れした映像が繰り返し流されていた。

しばらくしてそれがイスラム過激派のテロ行為だということがわかった。

当時住んでいたマンションは米軍基地のすぐ近くだったので、
個人的にもテロの恐怖はそれなりに実感があった。

ご存知のとおり、あの事件の後、
アメリカそして世界はアフガニスタンそしてイラクとの戦争に突き進んでいくことになる。

今考えるとあの事件がアメリカのプレゼンスの低下、世界の無極化のはじまりだったのかもしれない。

*

さて、今回僕が書きたかったのは、そんな壮大な話ではない。
僕が書きたいのは「映像の力」とそれがもたらす「不公平さ」についての話だ。

*

後に「アメリカ同時多発テロ事件」と呼ばれる事件は、
世界中に大きな驚きと同情をもたらした。

アメリカに対する同情と連帯の意識。
そしてテロに対する怒りは世界的に広がったし、
それがアフガニスタンやイラクに対する戦争に
国際的な正当性を与えることにもなった。

直接の犠牲者だけで、
約3000人もの人びとが亡くなったわけだからそれも当然のように思える。

でも本当にそうなのだろうか?

*

大手国際NGOのオックスファムによると、
規制されていない武器による死者は1年で50万人(1日に1440人)に達するらしい。

あるいは、清潔でない水を飲んだことによる、
下痢性疾患で亡くなる子どもの数は1日に5000人に及ぶそうだ。

世界中に悲劇はあふれている。

でもこれらの悲劇はアメリカ同時多発テロ事件ほどの同情を集めていない。
同じくらいの犠牲者が毎日のように出ている現在進行形の悲劇であるにも関わらず。

*

理由はいくつか考えられるけど、
大きな理由のひとつが「映像の存在」だと思う。

どこか遠くの発展途上国で起きているような
規制されていない武器による事件はニュースになることはない。

それに大して、ワールドトレードセンタービルに旅客機が突っ込む映像は、
世界中で何回も何百回も放送された。

映像があるからこそ、被害の実態や悲劇の度合いが実感的に理解できる

でも「下痢性疾患で1年で50万人の子どもが死んでいる」というのはただの文字情報だ。
それを実感的に理解するのは難しい。

少なくとも大勢の人たちにとっては。

*

映像の力はすごい。

それによって僕たちは被害者の心情をより理解できるようになる。

でもそれは、同じような悲劇があったとしても、
映像がなければ、その分理解されないということを意味している。

映像は不公平だ。

そして世界で現在進行形で起きている悲劇は、
まさにそんな不公平さの犠牲者でもある。

*

911から10年。
そして311の東日本大震災から半年。

犠牲者を悼むときには、
思いだされることのない多くの犠牲者のことも忘れないようにしたい。

世界が不公平ならば、
僕は不公平に扱われる人たちに光をあてる人間でありたいと思う。

とても難しいことだけど。

*

まじめか。(たまにはなー)



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