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2012年12月の6件の記事

2012年12月30日 (日)

2012(連作32首)

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2012年も残すところあとわずか。

ということで2012年のブログの締めくくりとして、今年つくった自作短歌の中から32首(半端!)を選んで連作風に仕立ててみました!

ちなみに今年つくった短歌は約240首。自分にしてはたくさん短歌をつくった年でした。それだけつらいことの多かった一年だったのかもしれません・・・・・・。(遠い目)

ちなみにとある事情で変わった発表の仕方をした短歌もありますが、気づいた人はなまあたたかくスルーしてくださいねー。

では、さっそくはじめます!



「2012」


夕立のにおいでぼくは目をさます ずっと身の程知らずでいたい

強くなる過程であなたが捨ててきた弱い部分も大好きだった

ひとつだけ残ってしまうならそれはやさしいなにかでありますように

まだ君を許せないのにやさしさがあふれだすからさよならなんだ

*

さみしさを認めたら負け でもそれを感じられなくなったらおわり

悲しみが薄まることと悲しくはないってことは違うのだろう

体温計みたいに心の状態を見える化できればよかったのかな

神さまがこころを弱くつくるのは信じてもらえなくなるからだ

かんたんにつぶれてしまういろはすのペットボトルのようなこころめ

誰だって心のおくに泣きむしなこどもが体育ずわりしている

あの子には思い出すたびあたたかくなれる言葉が必要だった

全力で走るあの子に「歩いてもいいよ」だなんて言わないで欲しい

夕焼けが舌を出してる ぼくはまだ意味も無意味もわからず生きる

*

企画物AVを見るような目で職務経歴書を読まれたよ

真夜中の漫画喫茶のさみしさのみんな深海魚になればいい

ひどいこと言うのは待って おさがりの鎖かたびら装備するから

交換はできないものを条件にしてごめんなさいごめんなさい

将来は紙飛行機になりたいなあ 素材は婚姻届がいいなあ

全力で走ったのならスキップでごまかさないでちゃんと傷つけ

*

殺したいくらい愛したことがある この心臓を片方あげる

美しいだけで心に刺さらない絵はがきみたいな作品ですね

勉強が苦手なくせに手をあげてまた間違えるあの馬鹿が好き

全身の武装解除をして君の非武装地帯から鳩を出す

謎めいた笑みを浮かべる あれなんも考えていないパターンのやつや

籠城をするドラえもん どら焼きで兵糧攻めをする野比のび太

貝殻をあなたの耳に押しあてて上から殴る 海をなめるな

*

ひとりでも生きられるけどそうしたくないのはあなたと生きたいからだ

ねむってる君を見守る でも逆に守られているような気もする

好きでいる理由が特にないくせに大好きだから愛なんだろう

変わらずに愛するよりも変わっていくあなたを何度も好きになりたい

*

戸締りはしないでおくね 遠方で雷 知らない猫のなく声

Word is mine/World is mine 世界は言葉そのものだから



良いお年を!


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2012年12月22日 (土)

【短考】短歌人口を推計してみました

こんにちは。
何ウィルスですか? 僕はノロウィルスです。

今回のテーマは「短歌人口」です。

ここでいう「短歌人口」とは「短歌の創作人口」のことで、
直近1年間に一回でも短歌の創作活動に関わった人の総計と定義します。

そのものずばりの資料がなさそうなので、いろいろな方法で推計してみました。

結論としては、

ちょう概算で「6万人~50万人」
概算で「20万人~40万人」
思いきって言い切るならば「25万人」前後

という推計結果になりました。

次項から推計方法と推計結果の詳細を説明していきます。


■推計のアプローチ

今回、推計のアプローチとしては、

(1)「生活基本調査」のデータから推計
(2)人口から推計

の2つを採用しました。


■生活基本調査のデータから推計

まず「生活基本調査」のデータからの推計。

「平成23年生活基本調査」によると、俳句や小説や詩などを含む文芸創作人口は253万人なので、これが短歌人口の上限になります。


文芸創作人口における短歌のシェアをざっくり20%と仮定する約50.6万人


このシェアの仮定に特に根拠はありませんが、
「何かしら物を書いています」という人たちの中で、短歌を書いている人が5人に1人より多いとは想定しづらいのでこれを上限としています。

実際にはさらに少ない可能性が高く、「10人に1人」(シェア10%)だと25.3万人
「20人に1人」
(シェア5%)だと12.6万人「40人に1人」(シェア2.5%)だと6.3万人が短歌人口となります。

さすがにこの程度のシェアはありそうなので、6万人がおおよその下限と言えそうです。

範囲:6万人~50万人
予想:12万人~24万人

まとめると上のような推計となります。


人口から推計

今度は別のアプローチから推計をしてみます。


統計局のデータによると、10歳以上の日本人は
約1億1620万人です。(最新のデータではないですが誤差の範囲)

このうちの500人に1人(0.2%)が短歌をつくると仮定すると、約23万人が短歌人口であると推計できます。

500人に1人という比率を別の言い方で表すと、東大の学部生(1万4000人)のなかで28人、早稲田の学部生(4万4000人)のなかで88人が短歌をやっている計算です。

この比率(以下、短歌人率)の仮定が推計精度の要なんですが、比率が1%を切るとさすがに常識の突きあわせも難しくて、このあたりの短歌人率の仮定にはかなりのブレが出てきてしまいます。

ということで、「100人に1人」(1%)~「1
000人に1人」(0.1%)と幅を持たせて、それぞれのパターンでの短歌人口を推計した表を以下に貼ります。

Tanka_pupulation_2

まとめると以下の通りです。

範囲:12万人~116万人
予想:12万人~39万人


■年代別の特性を考慮して推計

2つのアプローチによる推計を紹介しましたが、どちらも年代別の違いを考慮していません。

しかし実際には、人口分布は年代によって倍近く違いますし、年代によって活動する文芸創作の傾向は変わるはずです。

さらに、日本の人口分布と文芸創作人口分布は、年代別に見たときに、その特性がかなり異なります。

Population_of_japan_2
統計局のデータを元に作成

Pupulation_of_bugei_age
「平成23年生活基本調査」のデータを元に作成

推計結果へのインパクトは限定的だと思いますが、この違いを無視するのはさすがに少し乱暴かもしれません。

そこで、1つめのアプローチに年代別シェアという考えを組みあわせて推計してみたのが次の表です。

Tanka_pupulation_age_3

結果として、短歌人口は16.5万人となりました。

ここでは
年代が上がるほど短歌シェアが上がる」というモデルを仮定しています。

文芸創作人口の分布を考慮に入れるならば、このようなモデルが妥当かどうかは議論の余地がありそうです。

しかし、短歌について言えば、むしろ文芸創作人口分布に相似すると考えるほうが無理があると考えました。

いずれにせよ、それぞれのシェアの値は感覚的なものです。

ちなみにシェアの仮定は比較的保守的な数値だと思っているので、全年代この倍くらいの数値になる可能性はありそうです。

その場合の短歌人口は33万人になります。

予想:16.5万人~33万人

また上の表をヒストグラムにしたものを下に貼ります。(尚、75歳以上は階級の範囲が揃っていないために除外しています)


Population_of_tanka__age_p2
「平成23年生活基本調査」のデータを元に作成


■短歌人口の推計のまとめ

以上3つの推計における短歌人口の予想範囲を以下にまとめます。

生活基本調査: 12万人~24万人
人口:       12万人~39万人
年代別シェア:  16.5万人~33万人


比較的似通った予想範囲となりました。ただし、これは最終的に僕が妥当な範囲を恣意的に決めているからという理由もあります。

また、この推計値についての注意事項を箇条書きにしておきます。

  1. この短歌人口はあくまでも「推計」です
  2. データ補足を多くの仮定で補っているので精度はそれなりです
  3. 具体的にはそれぞれの予想範囲で±50%くらいの誤差があると思ってください


■最後に


最後になりますが、「短歌人口」という最も基本的で重要なデータが、探しても見つからない(おそらくちゃんとした調査結果が存在しない)というのは、業界としての大きな問題だと思います。

短歌協会的な組織はいくつかあるようですが、こういった取り組みをまだしていないのであれば、是非とも調査していただいて、より精度の高いデータを公表して欲しいと思います。

そのような基礎的なデータがあってはじめて、短歌界全体の活性化につながる有効な施策が打てるのではないでしょうか。

ではでは。



■主な参考資料

平成23年生活基本調査(総務省統計局)
http://www.stat.go.jp/data/shakai/2011/index.htm



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2012年12月15日 (土)

【短考】現代短歌シーンのシンプルな見取り図を考えてみました

短歌の世界でおもしろいと思うことのひとつに、「短歌」というキーワードだけをロープにして、年齢も趣味嗜好のかけ離れた人たちがつながっている状況というのがあります。

こういうのって他のジャンルだとちょっとあり得ないですよね。

小さいライブハウスに、高校生のパンクバンドがいるかと思えば、20代、30代のポップソングを歌う人たちもいて、40代のジャズバンドや80代の民謡を演奏する人たちまで対バンとして出てくるような状況。

年齢も性別も趣味嗜好も関係なしの混沌とした世界。

そういう短歌特有の混沌とした状況は、とても刺激的で、世界に広がりをもたらしていると同時に、やっぱり無用な諍いを生みやすかったりするわけです。

「そんなのは短歌じゃない」
「短歌はこうあるべき」

それは「短歌」というひとつの同じ世界に属しているという認識からくる、価値観も共有できるはずという幻想が衝き動かした攻撃行動だと思うのですが、まあどう考えたってやっぱり価値観も趣味嗜好も違うわけで、幻想はあくまでも幻想ですよね。

細かくカテゴライズしてたこつぼ化する必要はないけど、さすがにもうちょっと整理されていると風通しが良くなるんじゃないかいうことは前々から考えていて、以前このようなことをつぶやいたりしました。



最近Twitterで、またそのようなことが話題になりかけていたので、この機会に現在の短歌シーンの全体像を鳥瞰して、議論をプロットできるようなシンプルな見取り図をつくってみました!

一案に過ぎませんが、議論のたたき台になれば嬉しいです。


■軸が「質」しかない世界認識

その前に「では何故そのような混沌とした状況になっているのか?」という点についてですが、たぶん今の短歌シーンの語られ方というのは、次の図のような世界認識に基づいているのだという気がします。


Tanka_league


世界を説明する軸が「質」しかない状態。

そして絶対的な秀歌は存在するという前提に基づき、その秀歌を頂点として、すべての短歌がその下部に存在するというピラミッド型の構造

以前「いい短歌とは」というテーマの記事に書いた通り、「絶対的な秀歌」というものは存在しないわけなので、本当は頂点が複数あるような山脈のような世界認識のほうが妥当だと思うのですが、「短歌はワンワールド」という認識だと山頂はひとつしか認められないので、その価値観で評価できない短歌は「駄目な短歌」としてピラミッドの下部に押し込まれるか、「そんなのは短歌ではない」というふうに短歌ピラミッドの外の世界に追放してしまうわけです。

【短考】いい短歌とはなんだろう?

このあたりを突き詰めていくと「短歌とはなにか?」という議論になるわけですが、今回の記事のテーマではないのでそこには踏み込みません。(そのうち書くつもりです)

ただ「質」という1つの軸だけで説明するのはさすがに乱暴だと考える人が多いだろう、という感覚を頼りにもう少し妥当な見取り図を次の項で提示してみます。


■この記事での見取り図の書き方

短歌の世界についての見取り図を書こうと思ったときに、分類する軸をどうするかとか、軸の数をどうするかと言ったことに加えて、「場」や「作者」や「作品」といった軸をあてはめる対象をどうするかといったことを決める必要があります。

今回はとりあえず「作者」「作品」を対象に、それぞれ2つの軸で4象限に分類する見取り図を書くことにしました。

見取り図の書き方は他にもいろいろあると思うので、ひとまず僕が妥当かつ有用だと現時点で思っている書き方、くらいに受け止めてくださいね。

# ただ、全体像を鳥瞰するためにはシンプルにしたほがいいとは思います。
# 細分化はしようと思えばいくらでもできるわけですが、
# あまり細かくすると相互に矛盾も起きるし、有益な示唆も得にくくなるので。



■短歌作者のスタンスに着目した見取り図

ではまず「作者」を対象にした見取り図です。
ここでは作者の創作スタンスに着目してみました。

Kajin_matrix

想定読者として「一般向け×歌壇向け」という軸と、取り組み姿勢として「エンジョイ志向×競争志向」という軸で整理してみました。

各象限に入っている説明書きは、代表的な作者像の「一例」です。

この見取り図が示唆する重要なポイントを以下にかんたんにまとめます。

  1. 各象限は固定的ではなく年月の経過とともに変わり得る。
    (たとえば1象限の人が2象限に移動することもある)
  2. 想定読者が異なると、自ずから有効な作風や活動内容は変わってくる。
    従って、たとえば2象限の「プロ歌人」の論理で「歌集なんて全然売れてないじゃないか」と
    4象限の「伝統歌」人を批判しても有効とは言えない。(無意味ではないけど*1)
  3. 取組姿勢が異なっても、やはり活動内容は変わる。
    たとえば4象限の人が頼まれてもいないのに
    1象限の人の作品の質について批評するのは、
    気楽に口笛を吹いている人にプロの演奏家が「音程が狂っている!」と
    顔真っ赤にして食ってかかるのと同じような空気の読めなさがある。
  4. あくまでも「作り手」としての分類なので、
    同じ人でもあっても「読み手」としては違う象限にプロットされるということは十分にあり得る。

*1
たとえ違う象限の人相手でも自説をまっすぐにぶつけることで、
相手の気づいていない価値観に気づかせることができる場合もあったりするので「無意味ではない」と言っています。


個人的には「エンジョイ志向」としたいわゆるライト層に対して、コアな短歌の人たちは冷たい印象があります。

どんなジャンルでもライト層が盛り上がらないと、ジャンル全体の裾野も広がっていかないので、もっと大事にしてもいいんじゃないかなあと思います。

# もちろんライト層に向けたすばらしい取り組みがたくさんあることも知っています!


■短歌作品の特徴に着目した見取り図

続いて「作品」を対象にした見取り図を紹介します。いろいろ考えたのですが絵画のアナロジーで捉えるとしっくりくると思ってつくりました。

Tanka_matrix

具体的な作者はあえてプロットしませんでした。というのも同じ作者でも作品によってプロットされる象限が変わるからです。

ちなみに横軸で「一般向け×歌人向け」といっているのは、短歌を鑑賞するのために、短歌ならではの約束事や知識、つまりは短歌リテラシーがどれくらい必要とされるか、くらいの意味です。

この見取り図が示唆する重要なポイントを以下にかんたんにまとめます。

  1. 縦軸(共感vs驚異)の線引きは時代と共に変わる。
    基本的には1象限および2象限が3象限と4象限を吸収するようなかたちで変わっていく。
    (かつての前衛短歌が取り込まれていったように)
  2. 各象限の短歌観で他の象限を批評しても批評の有効ドメインが異なるので有効ではない。
    (ただし「有効でない=無意味」というわけではないです)
ちなみに個人的な印象として、歌壇/短歌史的には、未だに1象限の「イラスト系短歌」の価値をうまく位置づけられていないのではないか、という気がしています。


■最後に


くり返しになりますが見取り図はあくまでも一例です。

違う切り取り方をすればまた別の示唆を得られるはずですし、もっと鮮やかに現在の短歌シーンを説明することもできるかもしれません。

大事なのは「全体を鳥瞰する」という目的意識と、示唆が得られるように「シンプルに整理する」というアプローチだと思います。

この記事がきっかけとなって、議論を促進し、短歌に関わる人たちがハッピーになるような見取り図がたくさん生まれるようなことになると嬉しいです。



ではまた。



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2012年12月14日 (金)

【短考】Baseを利用した枡野浩一さんの短歌販売サイト「57577」! -短歌の商品価値について考える-

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以前「Base」というクレジット決済機能もついたショッピングサイトが簡単かつ無料で開設できるサービスのことを紹介しました。


【短考】無料ですぐ始められるネットショップサービス「BASE」って短歌販売にピッタリかも


そのBaseですが12月11日の時点で登録商品総額が1億円を突破したそうです。



重要なのは今後売上が実際にどれだけあがるかというところにあるわけですが、少なくとも出店サイドには順調にサービスが拡大しているみたいですね。

そんなBaseを使って、短歌を一首から販売するというおもしろいショップが開設されたので今回はその紹介をすると共に、「短歌の商品価値」についてゆるゆる考えてみます!


■枡野浩一さんの短歌販売サイト「57577」

短歌を一首から販売するというおもしろショップを開設したのは歌人の枡野浩一さん

枡野さんは「Gmailの返信に失敗しがち系歌人」として機械音痴のイメージがありますが、古くは掲示板の時代から最近だとTwitterやiPhoneアプリ電子書籍までウェブサービスなどの最新のテクノロジーをいち早く、しかもユニークに活用するセンスが抜群な人物でもあります。

なので今回もさすがという感じですね。

肝心の商品もユニークで、

あなたの名前を詠み込んだ短歌5,757円

というひとつのみ。

詳しくは上にリンクした商品解説ページをご覧いただきたいのですが、依頼主の名前を詠み込んだ短歌をだいたい7日間くらいでメール納品する仕組みのようです。


■「57577」のユニークな特徴

この「57577」のユニークな特徴は以下のようなところにあると思います。

  1. Baseを利用した無料かつ素早いサイト開設
  2. 短歌一首からの販売
  3. 5,757円という強気の価格設定(しかも時価)
  4. 世界でひとつだけのあなたのための短歌という付加価値づけ
  5. 名前を詠み込むというパターンメイドな手法

以下、詳しく説明しますね。


1.Baseを利用した無料かつ素早いサイト開設

Baseの一番いいところは手早くサービスを提供できるところだと思いますが、それを最大限活かすためにシンプルでわかりやすい商品ラインナップにしたセンスはさすがです。


2.短歌一首からの販売

音楽の一曲販売はiTMS(iTunse Music Store)などでは昔からあって、それと同様に、短歌も一首単位で販売するというアイデア自体はまあ誰でも思いつきますよね。

でも、300首くらいある歌集でさえなかなか売れないこんな世の中で誰が一首だけのためにお金を払うんだよ、という現実があるわけです。

そういった理想と現実をうまいこと乗りこえるアイデアが求められていたわけですが、そのひとつの答えを提示しているという点に価値を感じます!


3.5,757円という強気の価格設定(しかも時価)

一首販売を考えたときに、10円とか100円とかといった少額販売をするという発想もあるわけですが、あえて、5,757円という、歌集の平均価格をも大きく超えるような強気の価格設定をしているのもおもしろいところ。
たとえ無料にしたところでそれほど多くの販売は見込めない短歌だからこそ、「いかに単価を上げるか」というのが重要な課題になってくるわけですが、その課題をうまく解決しているところに感心しました。

この価格設定には「もっと高くてもいいのでは?」という意見もあるようですが、そういった読み切れない価格感応を考慮して「時価」という立てつけにしているのもしたたかですね!


4.世界でひとつだけのあなたのための短歌という付加価値づけ

強気の価格設定である5,757円で短歌を売るためには、当然相応の付加価値が必要になってきます。

一方で、継続的に安定的に販売するためには、安定的に短歌を「生産」できないと駄目なわけです。

いくらプロの歌人であっても、誰にもつくれないような名作をどんどん作れるわけはないので、単純に「短歌の質」で付加価値を担保することは難しい

その点を「世界でひとつだけ」「あなたのためだけ」というコンセプトで解決しているのが素晴らしいと思います!


5.名前を詠み込むというパターンメイドな手法

またオンリーワンな短歌をつくると言っても、ゼロから発想するオーダーメイドな短歌づくりとなると結構難しいわけですが、そこを名前を詠み込むという手法によって、パターンメイドな短歌づくりに持ち込んだアイデアも秀逸です!


■まとめ

先ほどあげた5つの特徴のひとつひとつは、それほど目新しくはないかもしれません。

しかし枡野浩一さんのすごいのは、短歌の商品価値に自覚的であるうえで
その商品価値を最大化して読者に届けるために、どういう仕組みであればなるべく少ない労力でシンプルに実現できるかという点に知恵を絞ってアイデアをうまく活用しているところだと思います。

数少ないプロ歌人として、「短歌をお金に変える」ということに最前線で戦いつづけてきた枡野浩一さんのそういった姿勢から学ぶことはたくさんあるし、今後の活動がますますたのしみです。


ではまた。



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2012年12月13日 (木)

「短歌の夜明けらしきもの」を読んで「届け方」について考えた

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2回ほど短歌についてまじめに考える記事が続きましたが、今回は趣向をかえてゆるゆると人の短歌を鑑賞していきます!

今回ご紹介するのは「短歌の夜明けらしきもの」です。


■「短歌の夜明けらしきもの」とは?

「短歌の夜明けらしきもの」は、何らかの歌詠みたちエキチカヘブンで朗読した内容をまとめた冊子です。

「何らかの歌詠みたち」というのは、岡野大嗣さん、木下龍也さん、飯田和馬さん、飯田彩乃さんの4人のユニット名。

結社や同人やサークルとは異なる、一時的で流動的なプロジェクト型のユニットのようです。

今回はエキチカヘブンという、演劇あり、音楽あり、漫才ありという文化系お祭りイベントに参加するために、岡野大嗣さんの呼びかけで集まったのが上述の4名だそうです。

『エキチカヘブン’12』

そしてそのイベントでの朗読内容をまとめたのが「短歌の夜明けらしきもの」というわけですね。

発足の経緯やイベントの詳しい様子は岡野大嗣さんのブログに詳しいのでぜひそちらをご覧ください。

『エキチカヘブン ファイナル』 感想1

入手方法ですが、PDF版と紙版があり、どちらも岡野大嗣さんへリクエストをする必要があります。

紙版のほうは印刷・製本の手間とコストがあるため、確実に手に入る保証はないと思いますのであらかじめご認識あれ。


■内容紹介

では実際に中身を紹介していきます!

一番の特徴は短歌と写真を組みあわせているところですねー。レイアウト的には1ページにつき短歌一首と写真一枚の組み合わせ。

紙面イメージをちら見せするとこんな感じ。

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写真もいいし、レイアウトも見やすいし、短歌も引き立っています。「読者に見せる」という強い意識がなければこうはいかないはず。

まずこの点に感銘を受けました!

また、肝心の短歌もレベルが高くて読みごたえがあります。
僕が気に入った短歌どーん。


『研修生( いつも笑顔で接客を心がけます) 矢野』の舌打ち』(岡野大嗣)


ショッカーの時給を知ったライダーが力を抜いて繰り出すキック(木下龍也)



即答の「コーヒー。アイス。」迷わないふりするうちに迷えなくなる(飯田和馬)



お別れの気配がします私ではなくて後ろのガラスを見ている(飯田彩乃)


いい短歌は他にもありますし、冒頭の木下龍也さんの詩や岡野大嗣さんの後書きも良かったです。

現状、PDF版もリクエストベースで無償配布しているようなんですが、十分にお金を取れるクオリティだと思いました!

お金を取るかどうかはともかく、ぜひもっと積極的にプロモーションして欲しいところです。


■「短歌の夜明けらしきもの」の意義

今回この冊子を紹介した理由として、内容がすばらしいということもあるのですが、「短歌の見せ方」とか「活動のしかた」とか、そのあたりに感銘を受けた、という面が大きいです。

たとえばこのあたりは、短歌本をつくろうとしている人たちは参考になるのではないでしょうか。


1.「見せる」という意識の高さ

写真と短歌の組み合わせ自体は結構昔からあると思いますが、商業出版ではないお手製本で手に取りたくなるようなクオリティに達しているものはあまり見たことがありません。

もちろんセンスとかイメージを実現できる人材の問題とかはありますが、一番大事なのは「手に取りたくるようなものをつくる」という意識だと思います。

この点がまずすばらしいですね!

悲しいことにほとんどの受け手は無関心で冷酷なので、「内容が良ければ届く」という理想論は通じないんですよね・・・・・・。

だから見た目や届け方には、作品づくりと同じくらい心をくだく必要があるわけです。


2.朗読イベント発の展開


またエキチカヘブンという他ジャンルが参加するイベントが契機になっているのも見逃せません。

短歌はマイナージャンルなので、ついつい狭いコミュニティに閉じてしまいがちですけど、
作風によっては短歌の人たちより他ジャンルの人たちのほうが良き理解者/読者になってくれる、なんてことはふつうにあると思います。

自分たちの可能性や読者を広げるという意味でも、いろいろな場に飛び込んでいくという活動には大きな価値があります!


3.少数精鋭かつ流動的なチーム編成


同人誌とかサークルでもそうですけど、メンバーというのは固定化しがちですよね。

それ自体は良い面も悪い面もあるわけですが、プロジェクト型のチーム/ユニットがあってもいいのに、と常々考えてきました。

しかも短歌というのは、簡単につくれるようでいて、読むに値する作品というのはどんな歌人であれ短期間に量産できないわけです。

それを考えても、ひとりで作品をつくりあげるのではなくて、クオリティの高い複数で作品をつくりあげる合同歌集のような形態は合理的。

すでにそのような試みを行っている事例はたくさんあると思いますが、今後さらに増えていく気がします!


■最後に

短歌の世界における不満というか個人的な関心事に、「どうやってマーケットを広げるか」というものがあります。

それは決してマネタイズが主眼ではなく(それも重要ですよ!)、「本来必要としている人に届ける可能性を高める」ことが最大の目的です。

そしてそれを実現するために作り手個人のレベルでできることはいい短歌をつくることだけでなく、パッケージの仕方やプロモーションの仕方など、もっともっとたくさんあると思っています。

勝手な印象ではありますが、岡野大嗣さんはそういうことができる人だし、実際にそうしているし、今後ますますおもしろい活動をしてくれる人だと思っているので、引き続き注目していきたいです。


ではでは。



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2012年12月12日 (水)

【短考】感想と批評の違いとはなんだろう?

みなさんお元気ですか? 外は天気です。
そして僕の元気のことは聞かないでください・・・・・・。(どうした)

前回の記事「いい短歌とは」ということについて私見をまとめました。で、その時から次の記事で書くテーマは決めていました。

それが今回のテーマである「感想と批評」です。


■感想と批評について語る時にぼくたちが語ること

「それは批評じゃなくて単なる感想だよね」
「批評じゃなくて批判じゃん。というか悪口じゃん」

歌会とかTwitterのつぶやきでよく聞く台詞ですよね。
聞き覚えのある人も多いはず。

でもこれって一体どういう意味なんでしょう?

他にも、

  1. 批評と感想はなにが違うの?
  2. 「ただの感想」ではない「ちゃんとした批評」を書くためには何が必要なの?
  3. そもそも単なる感想では駄目なの?
  4. 感想より批評のほうが偉いの?
  5. 批評ってなんの役にたつの?

このような疑問を抱えている人は多いはず。
今回の記事ではそのあたりを整理してみます!


■感想と批評って結局なにが違うの?

まずは感想と批評についての一般的な定義と成立要件をまとめてみました。複数の辞書を参考にして妥当な定義にしたつもりです。

もちろん、より詳細な成立要件を追加する人もいるでしょうけど、まあこんな感じの認識でとりあえずはいいのではないかと。

Kansou_hihyou

ここで大事なことは2つあると思います。

1つめは「感想は自由に書いていい」ということ。
2つめは「批評には理由が必要なこと(理由がなければ批評とは言えない)」ということです。

そのことをもう少し詳しく「評価種別」と「評価基準」と「評価理由の説明責任」という3つの比較項目で整理し、感想と批評を比較してみたのが次の図です。

似たような概念である「批判」「悪口」もあわせて整理してみました。


Kansou_hihyou_matrix


「評価種別」を見ると、「感想」と「批評」が「肯定評価」と「否定評価」どちらも取り扱うのに対して、「批判」と「悪口」は「否定評価」だけを取り扱っていることがわかります。

また「評価基準」と「評価理由の説明責任」という2つの比較項目で見ると、「感想と悪口」そして「批評と批判」の2つにグルーピングできることもわかります。

その点を加味して感想と批評の主な違いをシンプルにまとめなおした図どーん。


Kansou_hihyou_matrix_simple


このようにまとめてしまえば違いは一目瞭然ですよね。
つまり、

「感想ではなく批評を書くにはどうすればいいか?」

という疑問に対する答えは、

「評価だけでなく何故その評価になったのかの理由を客観的に説明すればいい」


ということになるわけです。

# 念のため補足しますが、「評価基準」の「主観的/客観的」というのは程度問題です!
# 完全な客観なんてあり得ないので実際には「やや主観的」「やや客観的」くらいの意味です。


■「批評」には種類があるの?

それではいよいよここから「感想と批評の意義」についての考察に入っていきますよー。

と、その前に確認しておくべきことがあります。それは一口に「批評」といってもいろいろな種類がある、ということです!

Twitterや歌会で批評について議論されるときも、そのあたりはきちんと区別されていないのではないでしょうか?(そしてそのことが議論がかみ合わない原因だったりするのかも)

ということで批評についての詳細なまとめマトリクスどーん。


Hihyou_matrix


いかがでしょうか?
「いかがでしょうかじゃねえよ説明しろよ」って感じでしょうか?

まず釈明しておかないといけないのは見出し行の各「××批評」は基本的には僕の造語ということです。

急造でキャッチアップした知識で無謀な体系化を試みているので正直クオリティは低いと思うんですけど、全体像を見取り図として示すことが最重要だと考えているのと、徐々にブラッシュアップしていけばいいと考えているので恥ずかしげもなく提示しました。

個人的には、批評について語るときには、少なくともこのレベルに細分化して理解をあわせる必要があると思っています!

最後にこの表から読み取るべき大事なポイントを以下にまとめておきますね。
  1. 批評にはこのように色々な種類があり目的や評価軸などがそれぞれ異なる
  2. 批評の場においてはこのうちの複数の批評手法を同時に利用することがある
  3. 評価基準が明確であるほど、そして検証可能性が高いほど批評の説得力は増す
  4. どの批評が優れているということは特にない(目的による)
  5. 逆にいえば目的にかなっていない批評は価値が小さいと言うことはできる
  6. 批評は作品についてよりも評者の考えについて語っている側面もある(*)
* それについてはこちらの過去記事「ウィトゲンシュタインの物差し」もご参照ください


■それで感想と批評の意義ってなんなの?


ここまでの説明で感想と批評の違いはいろいろわかりました。残る疑問は「で、それなんの役にたつの?」ってことですよね。

ということでここでは感想と批評の意義/提供価値について考えてみます!

ところで「提供価値」というくらいなので「提供するもの(何を)」だけでなく、「提供する相手(誰に)」も必要ですよね。

そこで、「(感想/批評の)読者」「作者」「評者自身」という3つの立場でそれぞれどのような価値を提供することができるのかを以下の図にまとめました。


Kansou_hihyou_value


もちろん他にも提供価値はたくさんあると思いますが、基本的にはこんな感じではないでしょうか。

そしてこうして整理すると、(多くの)歌会において感想ではなく批評が求められる理由も見えてきますね!

その他重要なポイントを以下に補足しておきます。
  1. 感想と批評で提供する価値はそれぞれ違う
  2. また提供される価値は受け手の立場によっても異なる
  3. 何をどれくらい重視するのかも人や時と場合によって変わる
  4. 感想がいいのかどんな批評がいいのかは目的や状況で変わる
結局は前回の記事と同様に当たり前の話に落ち着くわけですが、「批評より感想が偉い」ということもなければその逆ということもないわけですね。

ただし適切な感想や批評というものはある

大事なのは目的を意識して、場や状況に応じて適切な感想や批評をするということだと思います。


■最後に

目的を明確にしてそれに適した行動を取る。先ほどの繰り返しになりますがこれは「ちょう重要な基本姿勢」です!

適した行動は目的が変わっても変わるし、場や状況が変わっても変わります。(たとえば歌会にしてもその目的が作歌力の向上か親睦かで求められるものは変わるはずです)

大事なのは、教条主義に陥って思考停止せずに、目的に応じた適切な感想/批評を選択して実践することです。

そして、それを実践するためには、「どういう目的にどういう感想/批評方法が適しているか」を理解しておく必要がある。

この記事に掲載したチャートが、その際の「ガイドマップ」としてお役にたてば嬉しいです。

尚、批評については今回語り切れなかったことがたくさんあります。いずれそれらについても記事に書くつもりなので気長にお待ちくださいね。


ではでは。


P.S. ちなみにこのブログで短歌を紹介するときのスタンスは基本的に「感想」です!



<参考文献>

批評に関してはまったくの無知だったので、短歌の時評サイトを含めてWeb上でいろいろ参考にしましたが、こちらのサイトの記事がいちばん腑に落ちました。

文学を読む③文学研究と批評・評論

石堂藍さんのHPの記事です。シリーズものなので興味があるかたは関連記事を一通り読んでみてください。

特に批評の分類に関しての考えかたは大きな影響を受けています!





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