カテゴリー「短歌のことを考えました」の47件の記事

2014年9月28日 (日)

【短考】短歌における私性と虚構について考えてみた

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こんばんは。僕です。
今回は長いです。

そして文体が「だ・である調」です。
本当は「ですます調」に直したかったのですがご容赦を・・・。


■はじめに

タイムラインで虚構の是非についての議論が盛り上がっていた。 「短歌における虚構」についてはもちろん、その議論の鍵となる「私性」についても、全然理解できていないので、わかる範囲で整理してみた。整理した内容を踏まえる形で、議論のきっかけとなった件についても見解を述べているが、それ以上の意図はないことはあらかじめ断わっておく。
 
この記事の目的は、以下の素朴な疑問について、底は浅いとしても、考えをさらに深めることのできる、明快な一次回答を示すことである。 
  1. 私性とは何か?
  2. 私性と虚構とはどのような関係にあるのか?
  3. 虚構が問題にされることがあるのは何故か?
尚、この記事では、ふだんのスタイルとは異なり、脚注を多用している。その意図は、発展的な議論の呼び水とすることだ。


■私性とはなにか?
*1


私性については、佐佐木幸綱さんの次の説明がわかりやすい。佐佐木幸綱さんは「一人称」と表現しているが、これを「私性」と読み替えても問題はないはずだ。

一人称詩とは、一言で言えば、私小説のように作者が自分を主人公にして、自分の思いや行為を表現するという意味である。作中の<われ>=作者<われ>が原則だというのだ。

歌は一人称だというイメージ、歌は作者名とセットだというイメージ、あるいは枠組みが伝統の中でかたちづくられ、認知されてきたからである。文字通り短い歌である短歌は、基本的に一人称詩として読まれるという前提があって、成立しているところがある。読者は一人称詩という前提に立って、作者は男だとか、作者の年齢はどれくらいだとか、想像したり、周辺情報を動員したりして作品を読み進む。

佐佐木幸綱 『万葉集の<われ>』 角川選書 2007年

また、以降の説明の見取り図として、斉藤斎藤さんがツイートしていた、私性についての説明を以下に引用する。

「A~Dを同一人物が担当する」ということは、作品内の出来事=Dが実際に体験したこと(ノンフィクション)と解される。おそらく、私性は、より広義(フィクションにおける私性、など)に捉えることのできる概念だと思うが、ここでは狭義の私性を取りあつかっていく。



■私性の効果


短歌において何故私性が重視されるのだろうか。それは私性の持つ効果にあるようだ。ここでは、私性の効果として代表的なものに説明を加えていく。

1.独自性の獲得

<私>という唯一無二のフィルターを通すことで独自性が生まれるという考え。第三十二回現代短歌評論賞を受賞した寺井龍哉さんの『うたと震災と私』を参照するとわかりやすいかもしれない。以下に参考になりそうな部分を引用する。

本来多様であるべき私性が封殺されているという意味での類型が引き起こされている(中略)作中主体と作者自身が概ね同定される前提で詠み、読まれる現代短歌では、単なる価値観の成立に前後して生じる葛藤や懊悩、鑑賞や諸々の感情が作品に対他的な独立性を与えるからである。

2.写生の実現

写生という短歌の方法論を実現するためには、その前提としての私性が不可欠であるという考え。斉藤茂吉の提唱した「実相観入」について考えてみると納得がいくと思うが、ここでは割愛する。

3.作品評価の底上げ

この記事で触れるべきなのはこの効果である。この効果は「私小説」というより「ノンフィクションドキュメンタリー」が持っている効果に近い。ある種の作品はノンフィクションとして読まれることによって読者に与える感動が大きくなる。写生の実現装置としての私性を重視する人たちからすると、この効果を強調されることには抵抗があるかもしれないが、個人的にはこの効果こそが、現代において私性が保有する最も重要な存在価値だと思う。

とはいえ、どのような作品であっても作品評価が底上げされるわけではない。そもそも、どのような作品であってもノンフィクションとして読まれるわけではない。それを整理したのが下の図である。縦軸は「ノンフィクションとしての読まれやすさ」*2、横軸は「ノンフィクションとして読まれた場合の作品評価への影響度」*3である。

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赤枠で囲ったBのエリアが「本当にノンフィクションなのか」が議論の的になるエリアといえる。同じBでも、右上にプロットされる作品ほど激しい議論を引き起こす。Bにプロットされる代表的な作品は「挽歌」「戦時詠」「病床詠」などだろう。


■虚構と私性との関連

私性とはノンフィクションであることを内包しており、虚構=フィクションとは相反する概念である。ある作品がノンフィクションであることで底上げ効果を得ているのであれば、それがフィクション=虚構ではないこと、虚構ではないと読者が信じられることは必須条件といえる。あるいは、それが虚構であるにもかかわらず、ノンフィクションとして読まれることを期待し、ノンフィクションを装うのだとしたら、それは佐村河内守的な詐欺行為とみなされる可能性は高い。


■前衛短歌運動との関連

前衛短歌運動とひとくくりにできるのだとすれば、その特徴は「虚構性」だ。つまり、狭義の私性から短歌を解き放って、より自由度の高い作品を目指したわけだ。その結果として、前衛短歌運動は私性=ノンフィクション性がもたらす効用を手放すことになる。

また、前衛短歌を通過したことにより、私性文学=一人称文学であることは短歌の読みの絶対ルールではなくなった、というのが現代短歌の常識的な見解である。

一九五〇年代に塚本邦雄が先駆して始発した前衛短歌運動にベースを置く現代短歌も、大幅に<無人称>の<われ>を取り込んでいる。作中の<われ>は、かならずしも作者とイコールではない、というかたちである。 (中略)
短歌を、<一人称><無人称>両方の<われ>がうたえる詩として作り、そう読む。作者と読者の関係をそのようなかたちで制度化したことによって、現代短歌は不倫もうたえるし殺人もうたえるようになったのである。

佐佐木幸綱 『万葉集の<われ>』 角川選書 2007年



■未だに混在する読みのモード

とはいうものの、現実には「フィクション読み」と「ノンフィクション読み」というふたつの読みのモードは混在している。というよりも、実際にはノンフィクション読みする人の方が、今でも多数派である*4。とはいえ、これは「フィクション読み」する人もいればそうでない人もいるという属人的な問題ではない。状況によって人は読みのモードを変えている、と捉える方が正確だろう。読みのモードに影響を与える要因はざっとこんものがあるだろう。
 
  1. 作品の性質(明らかにフィクションであるもの、どちらに読んでも影響がないもの、ノンフィクションに見えるものがある)
  2. 読者の傾向(ノンフィクションとして読む=私性文学として読むことが絶対ルールとして身についている人、フィクション読みを絶対ルールとして適用する人、混在している人)
  3. 場の性質(ノンフィクション読みが支配的な場かどうか、など)
 
ともかく、様々な影響を受けて、人は読みのモードを選択する。そして、現在でも「ノンフィクション読み」という読みのモードは少数派ではない。このことは「現実」として抑えておく必要がある。もうひとつ大事なことは、今述べたような要因のうち、1と3はある程度人為的にコントロールできるということである。このことは、読みのモードを作り手側がある程度コントロールできるということを意味していると同時に、完全にコントロールすることはできない=読みのモードは不確定であることを意味している。


■読みのモードに優劣はあるのか

そもそも読みのモードに優劣や正しさがあるのだろうか。

それは目的や価値観による、としか言えない。ノンフィクションに引きつけて作品の価値を高めるような読み方、読ませ方が駄目であると、いついかなる時でも言えるのかというとそんなことはない。それは、その逆もまた同様だ。

文学理論を学ぶことで得られる(数少ない)効用のひとつは、唯一絶対の正解となるような規範が存在しないことを明らかにしてくれることだ。それは、作者の意図を絶対視することが間違いであるのと同様に、コンテキストを完全に廃した透明な評価も幻想である、ということを示している。

つまり、何が正しいのかという価値判断は、判断基準が明確に示されていて、議論する人の間で合意されていない限りは、どこまで行っても単なる価値観のぶつけあいで終わってしまう。読みのモードの正しさに関する議論も同様だ。


■『虚構の議論へ』で取り扱っている問題についての見解

さて、以上の整理を踏まえて、議論のきっかけとなった問題について見ていこう。ここで「問題」といっているのは短歌研究10月号にて、加藤治郎さんが『虚構の議論へ 第57回短歌研究新人賞受賞作に寄せて』と題した特別寄稿にて取り上げている問題のことである。

この問題は事実としては、選考委員が「ノンフィクション読み」していた作品が、実際には(選考委員が信じるほどには)ノンフィクションではなかった、という話に過ぎない。しかしながら、作者の作歌姿勢を問うような加藤治郎さんの先の特別投稿を受けて、作者を擁護する反論が生まれ、現在では「選考委員の読みのモードに問題があった」のか「作者の側に読みのモードを誤らせる過失があった」のかという犯人探しの様相を呈してきている。

しかし、短歌の世界において、どちらの読みのモードを適用するのが正しいのかは確定できない、ということは既に述べたとおりである。(フィクションであることは見抜けた、という人もいるだろうが、見抜けないことはあり得る、という点をここでは重視している)

一方で、ある作品がノンフィクションとして読まれるかどうか、ということも作者には確定できない。「フィクション読み」されることを想定していた作者が、「ノンフィクション読み」されることで過剰な評価をされた場合、作者に(少なくとも100%の)過失があるとは言えないだろう。

従って、「どちらが悪いのか」ということはこの問題の本質ではないし、それ故に、犯人探しの先に、この問題の解決策が生まれることもあり得ない。*5

この問題の本質とは、「受け手と作り手の期待する読みのモードが確定しない以上、ギャップが生まれる可能性を排除しきれない」という仕組みにある。従って、本気でこの問題の再発を防止したいのであれば、「どちらの読みのモードが正しいのか」という議論をするのではなくて、現実としてどちらの読みのモードも成立することを前提として、期待のギャップが起きないようにするしかない。単純に言ってしまうと、読みのモードが確定できるようなレギュレーションを設ければ良い。*6*7*8

具体的には「フィクション部門」と「ノンフィクション部門」を分けるとか、ノンフィクションによるかさ上げ効果の影響を受けないように、フィクション読みすることを評価ルールにするなどの対応策があり得るだろう。(加藤治郎さんが主張するように、著者プロフィールを完全にオープンにするのもひとつの手だろう。対策として不完全な割には弊害が大きいように思うが)

もし、そのような対策を取らずに、あくまでもフィクション/ノンフィクションが定まらない読みのモードの不安定さに価値を認めるのであれば、今回のような問題(なのかこれはそもそも?)が起きた時に、仕組み上不可避の出来事として、誰かのせいにしたりせずに、粛々と受け入れるべきだと思う。*9

尚、あるべきレギュレーションについては新人賞が何を目的とするのかに大きく影響されるだろう。(純粋に作品評価なのか、有望な作者奨励なのか、私Dも含めた総合評価なのか)  *10*11


■まとめ

私性と虚構に関してこれまで述べてきたことをまとめる。
 
  1. 狭義の私性文学であることで短歌にはノンフィクションによる底上げ効果が発生する(場合がある)
  2. 短歌の世界では前衛短歌運動を経た現在でも「フィクション読み」と「ノンフィクション読み」が混在している
  3. どちらの読みのモードが適用されるかについては、様々な要因の影響を受けるため、読者も作者も確定することはできない
  4. 正しい読みのモードなるものは目的と価値観が共有された場でしか存在しえない
  5. 今回の問題は、正しい読みのモードが共有されていない以上、いつでも起き得る
  6. 再発を防止し、無益なつるし上げを避けたいならば、単にレギュレーションを設ければ良い
  7. どのようなレギュレーションを設けるべきかは、賞の目的による
 
最初に掲げた目的に引きつけてまとめると次のようになる。
 


1.私性とは何か?
 
私性とは、A=B=C=Dであることを前提とした作品が読まれることであり、それは性質というより状態に近い。また、私性はノンフィクションという性質を内包している。
 


2.私性と虚構とはどのような関係にあるのか?
 
私性とはノンフィクションであり、虚構=フィクションとは相反する概念である。
 


3.虚構が問題にされることがあるのは何故か?
 
虚構が問題にされるというよりは、(現代短歌においては)虚構の真実性が問題にされるというほうが正しい。虚構の真実性が問題にされるのはそれが作品の価値評価に影響を与えるからだ。ただし、影響の度合いは作品の性質によって異なる。ノンフィクションとして読まれやすく、ノンフィクションとして読まれることで価値が高くなるような作品ほど、真実性が問題にされやすくなる。逆にいうと、その反対の性質をもつ作品の真実性が問題にされることは少ない。



*



例によって、限られた知識のなかでまとめているので、「このあたりの議論も踏まえた方がいいよ」などのアドバイスがあればぜひ。

今回の記事によって、僕のようなライト短歌ファンの見通しが多少なりとも良くなればうれしいです。

ではまた。




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■脚注(もし興味があれば)

*1
私性とは何か? ということについてのクリアな説明を求めて、色々な資料にあたったが、これというものにはついに行きあたらなかった。
大体の言説においては、私性がなにであるかを明確にしないままで、私性に関連のある他のことを論じている。あらためて定義することもないくらいに共通理解がなされている用語だと信じたいが、そういうわけでもなさそうである。私性は、簡単に定義できない深遠な概念なのかもしれないが、そうだとしたら私性に関連がある他のことを論じる時には、もっと明確で、論じたいことに直接的に言及できる「ふつうの言葉」を使うべきじゃないかとは思う。
ちなみにこの記事では私性はノンフィクションという性質を導出するためだけに登場してもらう。虚構との関連をノンフィクションという性質との対比で示すためだ。

*2
「一人称ないし人称が省略されている」「取扱う内容が現実的に起き得る」「ノンフィクションであることに価値がある内容である」あたりがノンフィクションとして読まれやすい要件だろうか。

*3
ノンフィクションっぽいものが実はフィクションだったとわかった時(あるいは見抜かれた時)の価値評価に対する影響もざっくり2つくらいはありそうだ。(1)単に作品の評価が下がる(アラウンドかさ上げ分が低下) (2)価値評価が裏返る(好き⇒嫌い) 

*4
本当だろうか。年代差も大きそうである。

*5
ノンフィクション読みが正当であると確定することは可能だろうか? 特に新人賞のような場において? それが不可能であれば、(1)可能であるようなレギュレーションにする か (2)不可能であること前提に (2)-1 だまされることを許容する もしくは (2)-2 ノンフィクション読みをきっぱり廃するしかないのかもしれない

*6
この手の割り切った意見がコアな短歌の人たちに受け入れられにくいことはさすがにわかりはじめたマイレボリューション。

*7
ノンフィクションによるかさあげ効果を虚偽によって得るのはずるいという主張と同じように、実際に体験した壮絶な体験を作品として活かすことでかさあげ効果を得ようとしているのに、それをできないようにする読みのモードに固定するのはずるい、という主張も成立するのではないだろうか。
作品そのもので勝負しろ、というのはテキストを絶対視する立場においてのみ有効な正論に過ぎないし、それは理想論であって現実ではないという反論も有効だろう。(一方で、程度問題に過ぎない、という理解も重要)
となると、やはりレギュレーションで明確にする一手ではないだろうか。しかしその場合のフィクションとは何を指すのだろうか?(出来事?) またどの程度まで厳しく見られるのだろうか(黒い車と書いたが実際はグレーだったらOUTか?)
ということまで踏まえると、レギュレーションを示すことは現実的といえるだろうか? あるいは主要なモチーフ(父の死など)のレベルでのレギュレーションであれば現実的だろうか?

*8
そもそも読みのモードを完全に一致させることに血眼になるべきなのか、という疑問も残る。作品というのはそもそも色々な読まれ方をされる宿命にあるものだ。しかし、現実的に問題が生じていて、その問題が解決するべきものだと考えられているのであれば、きっちり原因を突き止めて、有効な対策を取るべきだ。

*9
もっと言ってしまうと、誰かがこの問題=セキュリティホールをついて、佐村河内守的詐欺行為を働いたとしたら、もちろんその作者に責任があることは間違いないけれども、セキュリティホールを放置しているという意味で、運営側も責任を免れることはできない、という話である。性善説にたって、作者の良識に委ねている限りは、悪意のある攻撃からシステムが守られていること=「正当な」作品評価が担保されていることは保証されないのである。

*10
Twitter上での意見にもあったが、
・読みのモードによって不当に評価を得ていたかということ、
・不当に評価を得ていたとして受賞に影響があったかということ、
・読みのモードを選考委員が間違えたことに関して作者に責があるのかということ、
 
は少なくとも分けて議論したほうが良いだろう。

*11
自分が作者の立場だったら、こういった出来事から何を教訓とするだろうか?
リスクを回避するためにフィクション/ノンフィクション読みを確定できるような作品づくりをするべきと考える?
最も理想的な回答は次のようなものなのかもしれない。
 
「どちらの読みのモードが採用されたとしても、他の作品を圧倒するレベルの作品をつくって、本当にノンフィクションなのかどうかなんてつまらないことが争点題にならないようにすべき」


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2014年9月21日 (日)

【短考】短歌界を盛り上げるために短歌版トリプルミッションモデルを提案します

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短歌界を盛り上げるためには、組織的な取り組みが不可欠だと思っている。本来であれば短歌協会的な中央組織が推進すべきことなんだろうけど、幸か不幸か短歌にそのような中央集権的な組織はない。そんなわけで個人的に提案をしてみる。

そもそも、どうして短歌界を盛り上げたいかというと、それが作者である僕にとっても、読者である僕にとってもメリットがあるからだ。作者である僕が短歌をつづける目的というのは、ものすごく乱暴に単純化すると「承認欲求を満たすこと」だ。承認欲求を満たすためには、まず読者が存在しなければならない。短歌界が盛り上がって、読者が増えれば増えるほど、僕の作品と僕の作品の良い読者が出会う確率は高くなる。一方、読者である僕にとっては、読むことのできる作品の質が上がり、個人的嗜好に、よりマッチする作品と出会いやすくなればハッピーだ。これらはいずれも、作り手の裾野が広がることで自然と解決されるだろう。つまり、良いこと尽くしなのだ。今、自分事としてメリットを語ってきたわけだけど、このことは僕ではないあなたにとっても当てはまるのではないだろうか。

ところが、現状の短歌界はといえば、局所的&散発的なムーブメントは起きているものの、全体として大ブームが起きている状況からは程遠い。たまーに宝くじ的に発生するブームは、運が良ければ、遠くない将来に再来するかもしれないが、その機会を最大限に活かして、持続的なムーブメントに結びつけられる状況かといえば、かなり怪しい。それもこれも、組織的な取り組みが欠如しているからだ。

組織的な取り組みによってマイナージャンルをメジャージャンルに押し上げる試みというのは、他ジャンルでは普通に行われていることだ。その中でも、ここ20年で目覚ましい飛躍を遂げたジャンルに日本サッカーがある。その日本サッカーはトリプルミッションモデルという組織モデルによって駆動していたということもよく知られている。トリプルミッションモデルとは次のようなものだ。


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引用 http://www.waseda.jp/student/shinsho/html/69/6919.html

詳細はリンク先を読んでもらうとして、このモデルは、短歌界の振興に援用することができると考えている。私案/試案ではあるが、短歌版トリプルミッションモデルを図式化したのがこちら。

Triplemissionmodel

勝利に相当するミッションには「プロ歌人」というミッションを配置した。要するに、短歌をつくることで生計を立てられるような、生業として成り立つ歌人の数と質を増やすということだ。プロ歌人や商業歌人という表現に違和感があれば「トップ歌人」と言っても構わない。短歌をつくる人たちのロールモデル/目標になる存在がいれば普及にも弾みがつくだろうし、短歌を読む人たちが喜んでお金を払うような存在が増えれば、市場規模は増えていく。プロ歌人というミッションは、短歌界を盛り上げるための、特有の成功の鍵だと考えている。

また、持続可能性を確保するためにも、市場を拡大するためにも、そしてプロ歌人の質と量を増やすためにも、短歌人口を増やす「普及」というミッションは重要だ。もちろん「市場」も大事である。これらは短歌に特有なミッションではないけれど、それぞれの具体的な戦術レベルでは特有の課題があると思っている。(そのあたりのことはまたいずれ)

さて、それぞれのミッションの妥当性や具体的内容について語ることも大事だと思うが、ここでは、このトリプルミッションモデルの中のミッシングピースについて触れておきたい。それは日本サッカー協会においては「理念」と表現されていた部分であり、上図では「?」と表現した部分である。つまり、これらのミッションを主体的に駆動していく存在が現状では不在なのだ。これが短歌界が抱える最も大きな課題といえる。

最も単純な解決策は、短歌協会のような中央集権的な組織をつくることだ。似たような組織は存在するようだし、つくれない理由もないだろうから、チャレンジしてみても良いかもしれない。草の根までカバーするような完全なピラミッド型組織は難しいだろうが、主要な結社が中心となって超結社的な組織を立ち上げることは可能だろうし、結社を介さない個人登録も認めるようにすれば、かなり目的に適った組織になると思う。

あるいは、何らかの理由で、そのような組織の設立が現実的でないのだとすれば、中央集権的ではないやり方で似たような機能を実現するという道もあるだろう。その際には、コミュニケーションの共通基盤となるプラットフォームの存在が不可欠になるはずで、それこそがまさにtankafulを応援する理由の核心部分なわけだ。

いずれにせよ、大事なことは、ある程度の影響力を持つ人たちが、同じ方向を向いて、継続的に努力するということだ。そのためには「共通の地図」としての全体感のあるモデルがあった方が良い。スポーツビジネスにおけるトリプルミッションモデル自体が仮説の域を出ないものなので、その短歌版であるトリプルミッションモデルの私案/試案は、たたき台以上のなにものでもないわけだが、何かしらの参考になればと思い、記事を書いてみた。

ちなみにこのアイデアを思いついたのは2012年6月ごろなのだけど、だんだんと機が熟しつつあるのかな、という感覚は持っていたりする。

ではまた。

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2014年9月20日 (土)

【短考】tankaful.netリニューアルと短歌ポータルサイトへの期待

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こんにちは。短歌界のデング熱こと僕です。
おひさしぶりです。

ヒトスジシマカに媒介されてあなたのところへ辿りつきたい・・・・・・。
そんな思いを冒頭のあいさつに込めてみましたがいかがでしょうか?

・・・・・・いかかがでしょうかじゃねえよって感じですか。そうですか。
でもこっちだってほんとうはそんな思いを込めていないので引きわけですね!

そんなこんなでオリジナル記事としては、ほぼ2年ぶりの更新です。

毎日がしあわせで相変わらず短歌をつくる気持ちにはなれないのですが、
短歌界隈の動きには興味を取り戻しつつある今日この頃。

そんな中でもぜひとも紹介したい動きがあったので記事を書くことにしました。
それは2014年9月4日にリニューアルしたtankaful.net(以下tankaful)というWebサイトについてです。


■tankafulとは何か?

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tankafulは光森裕樹さんが中心となって運営している短歌専門の情報Webサイトです。

詳しい説明はサイトの「tankafulについて」というページを読んでいただくとして、
構成で目を引くのは、短歌賞の情報だったり、各種短歌関連団体へのリンク集だったり、
短歌を趣味とする人が知りたい情報が充実しているところですね。

この手のサイトとしては、電脳短歌イエローページという伝説のサイトがかつてあったわけですが、

その発展形として、短歌のポータルサイトを目指しているのかなと思います。

ちなみに個人的にちょうおすすめの記事は、
ネット短歌史」というネットとその周辺の短歌史をまとめた記事です!
が、2014年9月20日現在はデータ移行作業中で閲覧できないようです。(ざんねん・・・)

他にも、イベント情報など、コンテンツは盛りだくさんなので、ぜひご覧ください。


■tankafulの意義

ところで、今回どうしてtankafulを紹介しようと思ったかと言うと、
このサイトが短歌界にとって重要な役割を果たし得ると考えているからです。

言うまでもないことですが、短歌というのはマイナーな文芸ジャンルです。

そんなマイナージャンルを盛り上げようと思ったら、

数少ない同好の士を効率よくマッチングしたり、必要な情報への導線を確保する仕組みが必要です。

あるいは、普及という観点で見ても、新たに短歌の世界に足を踏み入れた人が、
最初の目的地にする場所があるかどうかは、その後の定着率に大きな違いをもたらすはず。

そのために不可欠な要素が
共通の基盤となり得るメディア/プラットフォームな訳ですが、
現状そのような存在は見当たりません。

そのような現状にあって、最も有望なのがtankafulではないかと。

ちなみに、コミュニケーションプラットフォームである以上、
いわゆるネットワーク効果が働くわけで、
明確な勝利者として
(聞こえは悪いですが)ひとり勝ちしてもらうことは参加者のメリットにもつながります。


というわけでみなさんもtankafulを応援しましょう!


■マネタイズという課題

そんなtankafulですが、期待の大きさの反作用として、
乗り越えなければならない課題も大きいのではないかと思います。

プラットフォームとしての役割を果たすためには、
コンテンツの質はもちろん、高い更新頻度を保つことや、長期にわたる安定した運営を行うことが不可欠なわけですが、

それらを可能にするのは、何と言ってもお金なわけです。

つまり、tankafulの最重要課題は、ビジネスモデルの確立ということになります。

マイナージャンル特有の厳しい環境下でどのようにマネタイズできるのか?
もちろん光森さんは、そのあたりのことにも自覚的なので、その動向に今後も目が離せません。


■「やる」ことの価値

以上、外部からtankafulについて色々語ってきましたが、
最後に思うのは「やる」ことの価値の尊さについてです。

世の中にはアイデアを思いつく人はいっぱいいるわけですが、
それを行動に移す人は多くない。

だけど、行動に移さない限り、現実の世界は1ミリも良くならないわけです。

僕自身、なかなか行動に移せないので、
光森さんの行動、チャレンジそれ自体がほんとうに素晴らしいなと、記事を書きながら何度も胸をうたれました。


そんなわけでささやかではありますが、何らかの助けができればという思いでこの記事を書きました。


ではまた。



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2012年12月22日 (土)

【短考】短歌人口を推計してみました

こんにちは。
何ウィルスですか? 僕はノロウィルスです。

今回のテーマは「短歌人口」です。

ここでいう「短歌人口」とは「短歌の創作人口」のことで、
直近1年間に一回でも短歌の創作活動に関わった人の総計と定義します。

そのものずばりの資料がなさそうなので、いろいろな方法で推計してみました。

結論としては、

ちょう概算で「6万人~50万人」
概算で「20万人~40万人」
思いきって言い切るならば「25万人」前後

という推計結果になりました。

次項から推計方法と推計結果の詳細を説明していきます。


■推計のアプローチ

今回、推計のアプローチとしては、

(1)「生活基本調査」のデータから推計
(2)人口から推計

の2つを採用しました。


■生活基本調査のデータから推計

まず「生活基本調査」のデータからの推計。

「平成23年生活基本調査」によると、俳句や小説や詩などを含む文芸創作人口は253万人なので、これが短歌人口の上限になります。


文芸創作人口における短歌のシェアをざっくり20%と仮定する約50.6万人


このシェアの仮定に特に根拠はありませんが、
「何かしら物を書いています」という人たちの中で、短歌を書いている人が5人に1人より多いとは想定しづらいのでこれを上限としています。

実際にはさらに少ない可能性が高く、「10人に1人」(シェア10%)だと25.3万人
「20人に1人」
(シェア5%)だと12.6万人「40人に1人」(シェア2.5%)だと6.3万人が短歌人口となります。

さすがにこの程度のシェアはありそうなので、6万人がおおよその下限と言えそうです。

範囲:6万人~50万人
予想:12万人~24万人

まとめると上のような推計となります。


人口から推計

今度は別のアプローチから推計をしてみます。


統計局のデータによると、10歳以上の日本人は
約1億1620万人です。(最新のデータではないですが誤差の範囲)

このうちの500人に1人(0.2%)が短歌をつくると仮定すると、約23万人が短歌人口であると推計できます。

500人に1人という比率を別の言い方で表すと、東大の学部生(1万4000人)のなかで28人、早稲田の学部生(4万4000人)のなかで88人が短歌をやっている計算です。

この比率(以下、短歌人率)の仮定が推計精度の要なんですが、比率が1%を切るとさすがに常識の突きあわせも難しくて、このあたりの短歌人率の仮定にはかなりのブレが出てきてしまいます。

ということで、「100人に1人」(1%)~「1
000人に1人」(0.1%)と幅を持たせて、それぞれのパターンでの短歌人口を推計した表を以下に貼ります。

Tanka_pupulation_2

まとめると以下の通りです。

範囲:12万人~116万人
予想:12万人~39万人


■年代別の特性を考慮して推計

2つのアプローチによる推計を紹介しましたが、どちらも年代別の違いを考慮していません。

しかし実際には、人口分布は年代によって倍近く違いますし、年代によって活動する文芸創作の傾向は変わるはずです。

さらに、日本の人口分布と文芸創作人口分布は、年代別に見たときに、その特性がかなり異なります。

Population_of_japan_2
統計局のデータを元に作成

Pupulation_of_bugei_age
「平成23年生活基本調査」のデータを元に作成

推計結果へのインパクトは限定的だと思いますが、この違いを無視するのはさすがに少し乱暴かもしれません。

そこで、1つめのアプローチに年代別シェアという考えを組みあわせて推計してみたのが次の表です。

Tanka_pupulation_age_3

結果として、短歌人口は16.5万人となりました。

ここでは
年代が上がるほど短歌シェアが上がる」というモデルを仮定しています。

文芸創作人口の分布を考慮に入れるならば、このようなモデルが妥当かどうかは議論の余地がありそうです。

しかし、短歌について言えば、むしろ文芸創作人口分布に相似すると考えるほうが無理があると考えました。

いずれにせよ、それぞれのシェアの値は感覚的なものです。

ちなみにシェアの仮定は比較的保守的な数値だと思っているので、全年代この倍くらいの数値になる可能性はありそうです。

その場合の短歌人口は33万人になります。

予想:16.5万人~33万人

また上の表をヒストグラムにしたものを下に貼ります。(尚、75歳以上は階級の範囲が揃っていないために除外しています)


Population_of_tanka__age_p2
「平成23年生活基本調査」のデータを元に作成


■短歌人口の推計のまとめ

以上3つの推計における短歌人口の予想範囲を以下にまとめます。

生活基本調査: 12万人~24万人
人口:       12万人~39万人
年代別シェア:  16.5万人~33万人


比較的似通った予想範囲となりました。ただし、これは最終的に僕が妥当な範囲を恣意的に決めているからという理由もあります。

また、この推計値についての注意事項を箇条書きにしておきます。

  1. この短歌人口はあくまでも「推計」です
  2. データ補足を多くの仮定で補っているので精度はそれなりです
  3. 具体的にはそれぞれの予想範囲で±50%くらいの誤差があると思ってください


■最後に


最後になりますが、「短歌人口」という最も基本的で重要なデータが、探しても見つからない(おそらくちゃんとした調査結果が存在しない)というのは、業界としての大きな問題だと思います。

短歌協会的な組織はいくつかあるようですが、こういった取り組みをまだしていないのであれば、是非とも調査していただいて、より精度の高いデータを公表して欲しいと思います。

そのような基礎的なデータがあってはじめて、短歌界全体の活性化につながる有効な施策が打てるのではないでしょうか。

ではでは。



■主な参考資料

平成23年生活基本調査(総務省統計局)
http://www.stat.go.jp/data/shakai/2011/index.htm



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2012年12月15日 (土)

【短考】現代短歌シーンのシンプルな見取り図を考えてみました

短歌の世界でおもしろいと思うことのひとつに、「短歌」というキーワードだけをロープにして、年齢も趣味嗜好のかけ離れた人たちがつながっている状況というのがあります。

こういうのって他のジャンルだとちょっとあり得ないですよね。

小さいライブハウスに、高校生のパンクバンドがいるかと思えば、20代、30代のポップソングを歌う人たちもいて、40代のジャズバンドや80代の民謡を演奏する人たちまで対バンとして出てくるような状況。

年齢も性別も趣味嗜好も関係なしの混沌とした世界。

そういう短歌特有の混沌とした状況は、とても刺激的で、世界に広がりをもたらしていると同時に、やっぱり無用な諍いを生みやすかったりするわけです。

「そんなのは短歌じゃない」
「短歌はこうあるべき」

それは「短歌」というひとつの同じ世界に属しているという認識からくる、価値観も共有できるはずという幻想が衝き動かした攻撃行動だと思うのですが、まあどう考えたってやっぱり価値観も趣味嗜好も違うわけで、幻想はあくまでも幻想ですよね。

細かくカテゴライズしてたこつぼ化する必要はないけど、さすがにもうちょっと整理されていると風通しが良くなるんじゃないかいうことは前々から考えていて、以前このようなことをつぶやいたりしました。



最近Twitterで、またそのようなことが話題になりかけていたので、この機会に現在の短歌シーンの全体像を鳥瞰して、議論をプロットできるようなシンプルな見取り図をつくってみました!

一案に過ぎませんが、議論のたたき台になれば嬉しいです。


■軸が「質」しかない世界認識

その前に「では何故そのような混沌とした状況になっているのか?」という点についてですが、たぶん今の短歌シーンの語られ方というのは、次の図のような世界認識に基づいているのだという気がします。


Tanka_league


世界を説明する軸が「質」しかない状態。

そして絶対的な秀歌は存在するという前提に基づき、その秀歌を頂点として、すべての短歌がその下部に存在するというピラミッド型の構造

以前「いい短歌とは」というテーマの記事に書いた通り、「絶対的な秀歌」というものは存在しないわけなので、本当は頂点が複数あるような山脈のような世界認識のほうが妥当だと思うのですが、「短歌はワンワールド」という認識だと山頂はひとつしか認められないので、その価値観で評価できない短歌は「駄目な短歌」としてピラミッドの下部に押し込まれるか、「そんなのは短歌ではない」というふうに短歌ピラミッドの外の世界に追放してしまうわけです。

【短考】いい短歌とはなんだろう?

このあたりを突き詰めていくと「短歌とはなにか?」という議論になるわけですが、今回の記事のテーマではないのでそこには踏み込みません。(そのうち書くつもりです)

ただ「質」という1つの軸だけで説明するのはさすがに乱暴だと考える人が多いだろう、という感覚を頼りにもう少し妥当な見取り図を次の項で提示してみます。


■この記事での見取り図の書き方

短歌の世界についての見取り図を書こうと思ったときに、分類する軸をどうするかとか、軸の数をどうするかと言ったことに加えて、「場」や「作者」や「作品」といった軸をあてはめる対象をどうするかといったことを決める必要があります。

今回はとりあえず「作者」「作品」を対象に、それぞれ2つの軸で4象限に分類する見取り図を書くことにしました。

見取り図の書き方は他にもいろいろあると思うので、ひとまず僕が妥当かつ有用だと現時点で思っている書き方、くらいに受け止めてくださいね。

# ただ、全体像を鳥瞰するためにはシンプルにしたほがいいとは思います。
# 細分化はしようと思えばいくらでもできるわけですが、
# あまり細かくすると相互に矛盾も起きるし、有益な示唆も得にくくなるので。



■短歌作者のスタンスに着目した見取り図

ではまず「作者」を対象にした見取り図です。
ここでは作者の創作スタンスに着目してみました。

Kajin_matrix

想定読者として「一般向け×歌壇向け」という軸と、取り組み姿勢として「エンジョイ志向×競争志向」という軸で整理してみました。

各象限に入っている説明書きは、代表的な作者像の「一例」です。

この見取り図が示唆する重要なポイントを以下にかんたんにまとめます。

  1. 各象限は固定的ではなく年月の経過とともに変わり得る。
    (たとえば1象限の人が2象限に移動することもある)
  2. 想定読者が異なると、自ずから有効な作風や活動内容は変わってくる。
    従って、たとえば2象限の「プロ歌人」の論理で「歌集なんて全然売れてないじゃないか」と
    4象限の「伝統歌」人を批判しても有効とは言えない。(無意味ではないけど*1)
  3. 取組姿勢が異なっても、やはり活動内容は変わる。
    たとえば4象限の人が頼まれてもいないのに
    1象限の人の作品の質について批評するのは、
    気楽に口笛を吹いている人にプロの演奏家が「音程が狂っている!」と
    顔真っ赤にして食ってかかるのと同じような空気の読めなさがある。
  4. あくまでも「作り手」としての分類なので、
    同じ人でもあっても「読み手」としては違う象限にプロットされるということは十分にあり得る。

*1
たとえ違う象限の人相手でも自説をまっすぐにぶつけることで、
相手の気づいていない価値観に気づかせることができる場合もあったりするので「無意味ではない」と言っています。


個人的には「エンジョイ志向」としたいわゆるライト層に対して、コアな短歌の人たちは冷たい印象があります。

どんなジャンルでもライト層が盛り上がらないと、ジャンル全体の裾野も広がっていかないので、もっと大事にしてもいいんじゃないかなあと思います。

# もちろんライト層に向けたすばらしい取り組みがたくさんあることも知っています!


■短歌作品の特徴に着目した見取り図

続いて「作品」を対象にした見取り図を紹介します。いろいろ考えたのですが絵画のアナロジーで捉えるとしっくりくると思ってつくりました。

Tanka_matrix

具体的な作者はあえてプロットしませんでした。というのも同じ作者でも作品によってプロットされる象限が変わるからです。

ちなみに横軸で「一般向け×歌人向け」といっているのは、短歌を鑑賞するのために、短歌ならではの約束事や知識、つまりは短歌リテラシーがどれくらい必要とされるか、くらいの意味です。

この見取り図が示唆する重要なポイントを以下にかんたんにまとめます。

  1. 縦軸(共感vs驚異)の線引きは時代と共に変わる。
    基本的には1象限および2象限が3象限と4象限を吸収するようなかたちで変わっていく。
    (かつての前衛短歌が取り込まれていったように)
  2. 各象限の短歌観で他の象限を批評しても批評の有効ドメインが異なるので有効ではない。
    (ただし「有効でない=無意味」というわけではないです)
ちなみに個人的な印象として、歌壇/短歌史的には、未だに1象限の「イラスト系短歌」の価値をうまく位置づけられていないのではないか、という気がしています。


■最後に


くり返しになりますが見取り図はあくまでも一例です。

違う切り取り方をすればまた別の示唆を得られるはずですし、もっと鮮やかに現在の短歌シーンを説明することもできるかもしれません。

大事なのは「全体を鳥瞰する」という目的意識と、示唆が得られるように「シンプルに整理する」というアプローチだと思います。

この記事がきっかけとなって、議論を促進し、短歌に関わる人たちがハッピーになるような見取り図がたくさん生まれるようなことになると嬉しいです。



ではまた。



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2012年12月14日 (金)

【短考】Baseを利用した枡野浩一さんの短歌販売サイト「57577」! -短歌の商品価値について考える-

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以前「Base」というクレジット決済機能もついたショッピングサイトが簡単かつ無料で開設できるサービスのことを紹介しました。


【短考】無料ですぐ始められるネットショップサービス「BASE」って短歌販売にピッタリかも


そのBaseですが12月11日の時点で登録商品総額が1億円を突破したそうです。



重要なのは今後売上が実際にどれだけあがるかというところにあるわけですが、少なくとも出店サイドには順調にサービスが拡大しているみたいですね。

そんなBaseを使って、短歌を一首から販売するというおもしろいショップが開設されたので今回はその紹介をすると共に、「短歌の商品価値」についてゆるゆる考えてみます!


■枡野浩一さんの短歌販売サイト「57577」

短歌を一首から販売するというおもしろショップを開設したのは歌人の枡野浩一さん

枡野さんは「Gmailの返信に失敗しがち系歌人」として機械音痴のイメージがありますが、古くは掲示板の時代から最近だとTwitterやiPhoneアプリ電子書籍までウェブサービスなどの最新のテクノロジーをいち早く、しかもユニークに活用するセンスが抜群な人物でもあります。

なので今回もさすがという感じですね。

肝心の商品もユニークで、

あなたの名前を詠み込んだ短歌5,757円

というひとつのみ。

詳しくは上にリンクした商品解説ページをご覧いただきたいのですが、依頼主の名前を詠み込んだ短歌をだいたい7日間くらいでメール納品する仕組みのようです。


■「57577」のユニークな特徴

この「57577」のユニークな特徴は以下のようなところにあると思います。

  1. Baseを利用した無料かつ素早いサイト開設
  2. 短歌一首からの販売
  3. 5,757円という強気の価格設定(しかも時価)
  4. 世界でひとつだけのあなたのための短歌という付加価値づけ
  5. 名前を詠み込むというパターンメイドな手法

以下、詳しく説明しますね。


1.Baseを利用した無料かつ素早いサイト開設

Baseの一番いいところは手早くサービスを提供できるところだと思いますが、それを最大限活かすためにシンプルでわかりやすい商品ラインナップにしたセンスはさすがです。


2.短歌一首からの販売

音楽の一曲販売はiTMS(iTunse Music Store)などでは昔からあって、それと同様に、短歌も一首単位で販売するというアイデア自体はまあ誰でも思いつきますよね。

でも、300首くらいある歌集でさえなかなか売れないこんな世の中で誰が一首だけのためにお金を払うんだよ、という現実があるわけです。

そういった理想と現実をうまいこと乗りこえるアイデアが求められていたわけですが、そのひとつの答えを提示しているという点に価値を感じます!


3.5,757円という強気の価格設定(しかも時価)

一首販売を考えたときに、10円とか100円とかといった少額販売をするという発想もあるわけですが、あえて、5,757円という、歌集の平均価格をも大きく超えるような強気の価格設定をしているのもおもしろいところ。
たとえ無料にしたところでそれほど多くの販売は見込めない短歌だからこそ、「いかに単価を上げるか」というのが重要な課題になってくるわけですが、その課題をうまく解決しているところに感心しました。

この価格設定には「もっと高くてもいいのでは?」という意見もあるようですが、そういった読み切れない価格感応を考慮して「時価」という立てつけにしているのもしたたかですね!


4.世界でひとつだけのあなたのための短歌という付加価値づけ

強気の価格設定である5,757円で短歌を売るためには、当然相応の付加価値が必要になってきます。

一方で、継続的に安定的に販売するためには、安定的に短歌を「生産」できないと駄目なわけです。

いくらプロの歌人であっても、誰にもつくれないような名作をどんどん作れるわけはないので、単純に「短歌の質」で付加価値を担保することは難しい

その点を「世界でひとつだけ」「あなたのためだけ」というコンセプトで解決しているのが素晴らしいと思います!


5.名前を詠み込むというパターンメイドな手法

またオンリーワンな短歌をつくると言っても、ゼロから発想するオーダーメイドな短歌づくりとなると結構難しいわけですが、そこを名前を詠み込むという手法によって、パターンメイドな短歌づくりに持ち込んだアイデアも秀逸です!


■まとめ

先ほどあげた5つの特徴のひとつひとつは、それほど目新しくはないかもしれません。

しかし枡野浩一さんのすごいのは、短歌の商品価値に自覚的であるうえで
その商品価値を最大化して読者に届けるために、どういう仕組みであればなるべく少ない労力でシンプルに実現できるかという点に知恵を絞ってアイデアをうまく活用しているところだと思います。

数少ないプロ歌人として、「短歌をお金に変える」ということに最前線で戦いつづけてきた枡野浩一さんのそういった姿勢から学ぶことはたくさんあるし、今後の活動がますますたのしみです。


ではまた。



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2012年12月12日 (水)

【短考】感想と批評の違いとはなんだろう?

みなさんお元気ですか? 外は天気です。
そして僕の元気のことは聞かないでください・・・・・・。(どうした)

前回の記事「いい短歌とは」ということについて私見をまとめました。で、その時から次の記事で書くテーマは決めていました。

それが今回のテーマである「感想と批評」です。


■感想と批評について語る時にぼくたちが語ること

「それは批評じゃなくて単なる感想だよね」
「批評じゃなくて批判じゃん。というか悪口じゃん」

歌会とかTwitterのつぶやきでよく聞く台詞ですよね。
聞き覚えのある人も多いはず。

でもこれって一体どういう意味なんでしょう?

他にも、

  1. 批評と感想はなにが違うの?
  2. 「ただの感想」ではない「ちゃんとした批評」を書くためには何が必要なの?
  3. そもそも単なる感想では駄目なの?
  4. 感想より批評のほうが偉いの?
  5. 批評ってなんの役にたつの?

このような疑問を抱えている人は多いはず。
今回の記事ではそのあたりを整理してみます!


■感想と批評って結局なにが違うの?

まずは感想と批評についての一般的な定義と成立要件をまとめてみました。複数の辞書を参考にして妥当な定義にしたつもりです。

もちろん、より詳細な成立要件を追加する人もいるでしょうけど、まあこんな感じの認識でとりあえずはいいのではないかと。

Kansou_hihyou

ここで大事なことは2つあると思います。

1つめは「感想は自由に書いていい」ということ。
2つめは「批評には理由が必要なこと(理由がなければ批評とは言えない)」ということです。

そのことをもう少し詳しく「評価種別」と「評価基準」と「評価理由の説明責任」という3つの比較項目で整理し、感想と批評を比較してみたのが次の図です。

似たような概念である「批判」「悪口」もあわせて整理してみました。


Kansou_hihyou_matrix


「評価種別」を見ると、「感想」と「批評」が「肯定評価」と「否定評価」どちらも取り扱うのに対して、「批判」と「悪口」は「否定評価」だけを取り扱っていることがわかります。

また「評価基準」と「評価理由の説明責任」という2つの比較項目で見ると、「感想と悪口」そして「批評と批判」の2つにグルーピングできることもわかります。

その点を加味して感想と批評の主な違いをシンプルにまとめなおした図どーん。


Kansou_hihyou_matrix_simple


このようにまとめてしまえば違いは一目瞭然ですよね。
つまり、

「感想ではなく批評を書くにはどうすればいいか?」

という疑問に対する答えは、

「評価だけでなく何故その評価になったのかの理由を客観的に説明すればいい」


ということになるわけです。

# 念のため補足しますが、「評価基準」の「主観的/客観的」というのは程度問題です!
# 完全な客観なんてあり得ないので実際には「やや主観的」「やや客観的」くらいの意味です。


■「批評」には種類があるの?

それではいよいよここから「感想と批評の意義」についての考察に入っていきますよー。

と、その前に確認しておくべきことがあります。それは一口に「批評」といってもいろいろな種類がある、ということです!

Twitterや歌会で批評について議論されるときも、そのあたりはきちんと区別されていないのではないでしょうか?(そしてそのことが議論がかみ合わない原因だったりするのかも)

ということで批評についての詳細なまとめマトリクスどーん。


Hihyou_matrix


いかがでしょうか?
「いかがでしょうかじゃねえよ説明しろよ」って感じでしょうか?

まず釈明しておかないといけないのは見出し行の各「××批評」は基本的には僕の造語ということです。

急造でキャッチアップした知識で無謀な体系化を試みているので正直クオリティは低いと思うんですけど、全体像を見取り図として示すことが最重要だと考えているのと、徐々にブラッシュアップしていけばいいと考えているので恥ずかしげもなく提示しました。

個人的には、批評について語るときには、少なくともこのレベルに細分化して理解をあわせる必要があると思っています!

最後にこの表から読み取るべき大事なポイントを以下にまとめておきますね。
  1. 批評にはこのように色々な種類があり目的や評価軸などがそれぞれ異なる
  2. 批評の場においてはこのうちの複数の批評手法を同時に利用することがある
  3. 評価基準が明確であるほど、そして検証可能性が高いほど批評の説得力は増す
  4. どの批評が優れているということは特にない(目的による)
  5. 逆にいえば目的にかなっていない批評は価値が小さいと言うことはできる
  6. 批評は作品についてよりも評者の考えについて語っている側面もある(*)
* それについてはこちらの過去記事「ウィトゲンシュタインの物差し」もご参照ください


■それで感想と批評の意義ってなんなの?


ここまでの説明で感想と批評の違いはいろいろわかりました。残る疑問は「で、それなんの役にたつの?」ってことですよね。

ということでここでは感想と批評の意義/提供価値について考えてみます!

ところで「提供価値」というくらいなので「提供するもの(何を)」だけでなく、「提供する相手(誰に)」も必要ですよね。

そこで、「(感想/批評の)読者」「作者」「評者自身」という3つの立場でそれぞれどのような価値を提供することができるのかを以下の図にまとめました。


Kansou_hihyou_value


もちろん他にも提供価値はたくさんあると思いますが、基本的にはこんな感じではないでしょうか。

そしてこうして整理すると、(多くの)歌会において感想ではなく批評が求められる理由も見えてきますね!

その他重要なポイントを以下に補足しておきます。
  1. 感想と批評で提供する価値はそれぞれ違う
  2. また提供される価値は受け手の立場によっても異なる
  3. 何をどれくらい重視するのかも人や時と場合によって変わる
  4. 感想がいいのかどんな批評がいいのかは目的や状況で変わる
結局は前回の記事と同様に当たり前の話に落ち着くわけですが、「批評より感想が偉い」ということもなければその逆ということもないわけですね。

ただし適切な感想や批評というものはある

大事なのは目的を意識して、場や状況に応じて適切な感想や批評をするということだと思います。


■最後に

目的を明確にしてそれに適した行動を取る。先ほどの繰り返しになりますがこれは「ちょう重要な基本姿勢」です!

適した行動は目的が変わっても変わるし、場や状況が変わっても変わります。(たとえば歌会にしてもその目的が作歌力の向上か親睦かで求められるものは変わるはずです)

大事なのは、教条主義に陥って思考停止せずに、目的に応じた適切な感想/批評を選択して実践することです。

そして、それを実践するためには、「どういう目的にどういう感想/批評方法が適しているか」を理解しておく必要がある。

この記事に掲載したチャートが、その際の「ガイドマップ」としてお役にたてば嬉しいです。

尚、批評については今回語り切れなかったことがたくさんあります。いずれそれらについても記事に書くつもりなので気長にお待ちくださいね。


ではでは。


P.S. ちなみにこのブログで短歌を紹介するときのスタンスは基本的に「感想」です!



<参考文献>

批評に関してはまったくの無知だったので、短歌の時評サイトを含めてWeb上でいろいろ参考にしましたが、こちらのサイトの記事がいちばん腑に落ちました。

文学を読む③文学研究と批評・評論

石堂藍さんのHPの記事です。シリーズものなので興味があるかたは関連記事を一通り読んでみてください。

特に批評の分類に関しての考えかたは大きな影響を受けています!





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2012年11月29日 (木)

【短考】いい短歌とはなんだろう?

「いい短歌とはなにか?」というのは繰り返し語られるテーマですよね。

それもそのはず。

何故なら、短歌をつくる人の多くは「いい短歌をつくりたい」と思って短歌をつくっているわけですから。(たぶん)

今日も僕のTwitterのタイムラインではそういう話題で盛り上がっていました。それぞれの短歌観から「いい短歌」を語っていて興味深かったです。

ただ、もう少し論点が整理されていればより有意義なのになあとは思いました。

ということで今回の記事ではそのあたりの交通整理をしてみようと思っています。

# 尚、このエントリーを書こうと思った最大の動機は、
# 一旦ここで自分の考えをまとめておかないと後々のエントリーが書きづらいなあと思ったからです。
# 従って「Twitter上の特定の意見について反論したい!」といった意図はまったくありません。
# どれも興味深い意見だったし、きちんと自分の意見を述べる人のことはリスペクトしています。
# 以上、無用な誤解を生むと嫌なので念のため。


ではゆるゆるとはじめますよー。


■誰もが認める「絶対的な秀歌の要件」は定義できるか?

あらためて問いをたててみると議論するのも馬鹿らしいくらいですねー。そんなの「できない」ですよね。

この問いよりはだいぶ条件が緩い「誰もが認める秀歌は存在するか?」という問いでさえ「存在しない」と答えるのがまあふつうの感覚だと思います。

このように問い直せば火を見るより明らかなことが、「いい短歌とはなにか?」という議論をしている最中では往々にして忘れられてしまうことがいつも不思議だし、そのことがフラストレーションを感じる大きな要因のひとつだったりします。

では、どうして「いい短歌とは」という議論をするときになると、そんな馬鹿げた前提を置いて持論を展開してしまうのでしょうか? それともそう見えるだけなのでしょうか?

そんな疑問を頭の片隅に置きつつ更に考察を重ねてみます!


■すべての短歌には「良し悪しの差」もないのか?

「絶対的な秀歌の定義ができない」のだとすると、自然と浮かぶのがこの疑問だと思います。

先ほどの問いに比べると議論の余地がありそうですが、個人的には「良し悪しの差」はあるという立場ですし、たぶんほとんどの人もその立場に立つのではないかと思います。

たとえば、歌会とか歌集とかでいくつもの短歌が並んでいた時に、「こっちの短歌のほうがずっといい」と判断した経験はみんなあるでしょうし、判断できるということについての確信もありますよね。

この感覚はとても重要で、もしこの点を無視すると、「みんなちがってみんないい」みたいな際限のない相対化が行われた果てに「いい短歌なんてないんだ! ラララ」みたいな極論に行きついてしまいがち

いや、もしかしたら究極的にはその認識こそが正しいのかもしれないですが、実用的には無意味だし、極端な相対化は自分を甘やかす方向に働きがちなので、「いい短歌をつくりたい」と思っている人は、その論理に逃げることには注意したほうがいいと思います。

では、「良し悪し」に差があるとしたら、それはなにが決めるのでしょうか?


■相対的な短歌の良し悪しは「短歌観」によって決まる


結論をいうとそれは「短歌観」によって決まるのだと思います。

ここで言っている短歌観とは、たとえば「写実性」であったり「韻律」であったり「詩的美しさ」であったり、「短歌において何を重要と考えるか」くらいの意味です。あとは「何のために短歌をつくるのか」といった目的意識も含みます。

そしてこれもあたり前なことですが短歌観は人によって違います

ある人にとっては「写実性」がいい短歌の条件だし、別のある人には「韻律」がいい短歌の条件だし、「わかりやすさ」や「共感力」がいい短歌の条件だという人もいる。

最初に「相対的な良し悪しは短歌観によって決まる」と言いましたが、さらに付け加えると、「作品に優劣がつけられるのは同じ短歌観で作品を評価することが有効な場合に限られる」というのが僕の考えです。(いわゆる「Apple to Apple」というやつですね)


以前このようなツイートをしましたが、まあ同じようなことです。「有効ドメイン」と言ってもいいですね。

逆にいうと、有効ドメイン外にある作品を、有効ドメイン内にある作品と同列に比較はできない(≒意味がない)わけです。

この点に無自覚な人が多いのも、フラストレーションを感じる要因のひとつだったりします。

# 誤解のないように補足すると、
# そのことに自覚的でありながら、
# それでも自分の信じる短歌観を妥協せずに主張することは尊敬すべき態度だと思っています



■異なる短歌観のあいだで優劣はつけられるのだろうか?

次に浮かんでくるのが、「異なる短歌観のあいだで優劣はつけられるのか」という疑問ですが、これはこれまでの問いよりずっと議論の余地が大きい感じがします。

個人的には優劣をつけるのは難しいのではないかと思いますが、「いい短歌とはなにか」というTwitter上の議論においても、つまるところは「自分の短歌観の優位性」を主張しているわけだし、近代以降の短歌史は、それぞれの短歌観こそが至高であると言い争ってきた歴史でもあるわけで、「短歌観はみんなちがってみんないい!」みたいに単純に相対化してスッキリできるような根の浅い問題ではないのかもしれない、という気もします。(まあイデオロギー論争とは全てそういうものかもしれませんけど・・・・・・)

ただ、そうはいってもリンゴとミカンはそのままでは比較できないことは確かで、意味のある比較をしようと思ったら「果実」みたいな上位概念でくくる必要があると思います。

この記事の最初のほうで、

誰もが認める「絶対的な秀歌の要件」は定義できないことは明らかなのに、
議論の中ではそんな馬鹿げた前提を暗黙的に置いて持論を語ってしまうのは何故か?

ということを疑問として提起しましたが、それ対しては、

自分の短歌観が相対的に優れていることについての確信があって、
それは実は上位概念に基づいた根拠ある比較なのだけれど、
議論の中でその上位概念が明示されていないので、
受け手からは「絶対的な価値観を前提として持論を語っている」ように読める。
(結果として価値観の押しつけに見えてしまう)

ということではないかと推察しています。

ちなみに、異なる短歌観を比較できるような上位概念が存在するかについては、時々目にする「そんなのは短歌ではない(キリッ)問題」にも関わってくる気もするし、そのことについての考えもないわけではないのですが、もうちょっと考えてみたいので、それについてはいずれまた。


■最後に自分の短歌観について

自分の短歌観というか、いい短歌の要件というか、評価基準がなにかというと、「どれだけ感動できるか」とか「自分の魂に必要か」とかいう抽象的な感覚だったりします。

それはもうあえてそうしています

自分の魂にとって必要な短歌だと感じられれば、それが文語だろうが口語だろうが、
仮名遣いがどうであろうが、定型だろうが破調だろが、写実派だろうが浪漫派だろうが、広がりがあろうが作品内で完結していようが、意味がつきすぎだろうが比喩が通俗的だろうが、そんなことは関係ない。

そんなの結局のところ後付けの理屈に使われる諸要素に過ぎない

少なくとも、その作品に限って言える一度限りの理屈にはなれても、一般化して他の作品に適用できるような理屈にはならない、と考えています。

# もちろんこれは極論で、
# 実用的なレベルに一般化する程度のことは可能だと思います。
# それでも、それは「短歌をつくる方法論」としてのみ有効だという気がします。

もちろん好みの作風と言うのはあるし、実用性を考えてもその好みは無視できないけれど、傾向としての好みにしか過ぎない特徴を「いい短歌の条件」と言い切ってしまった瞬間に、そこから外れるけど、ほんとうは自分の魂が求めている作品に対して、自分自身で扉を閉ざしてしまうことになると思っています。

短歌について語る時も、短歌を読むときも、そして短歌をつくる時も、そのことは忘れようにしていきたいです。

ではまた。


【補足】
とか言いながら、あらゆる作風に対して魂をフルオープンにする必要は必ずしもないと思っていたりもします。そのあたりのこともいずれ。



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2012年11月27日 (火)

【短考】無料ですぐ始められるネットショップサービス「BASE」って短歌販売にピッタリかも

前回の文学フリマの記事でも触れましたが、
今回は通販サイト関連の話題をかんたんに紹介します。


■短歌の通販の問題

商業出版でない短歌関連の本を売ろうと思ったときに、
現状もっとも頭を悩ますのはチャネル戦略の部分だと思います。

要するに、
「どこで売るか」「決済手段をどうするか」「どうやって届けるか」というところですね。

Amazonだとかミニコミ専門書店に委託するとか、
手売りするとか、選択肢はいろいろあるわけですが、
リーチの問題とか手数料の問題とか、悩ましいトレードオフがいろいろあるわけです。

特に委託手数料は馬鹿にならないですよね。

「委託手数料さえ安く抑えられれば本の価格を下げられて、
より多くの読者に読んでもらえるかもしれないのに・・・・・・」


そんなふうに考えたことがある人も多いはず。

もちろん自前で通販サイトを用意すればいいわけですが、
技術的にもコスト的にも現実的ではないわけです。

・・・・・・やれやれ。(声:村上春樹)

そんな悩みを抱える短歌クラスタに朗報が!
無料ですぐ始められるショッピングサイトがサービスの提供をはじめたそうです!

その名は「BASE」。

僕も今日知ったばかりなのですが、
大きな可能性を感じるサービスなので、簡単に内容を紹介してみます!


■BASEとは

詳しい説明は実際のサービスページを見てもらうのが一番!
というわけでリンク先に丸投げします!(おい)

https://thebase.in/

ポイントは以下の3つ。

1.初期費用がかかりません!
2.月額費用もかかりません!
    (ただし決済手数料はクレジットカード会社などに支払う必要があります)
3.最低限の情報を入力するだけでかんたんにショップをオープンできます!


どうですか?
ふあんになるくらいうますぎる話ですよね。

とはいえ同人誌の販売なり個人販売をする用途であれば
機能的には十分すぎるくらいですし、
これで実質的にコストが0円(※)ですぐにはじめられるわけですから、
使わない手はないと思います!

※クレジットカード決済に関しましては決済毎にクレジットカード決済代行会社への手数料3.6%+40円がかかります
(BASEのページより引用)

■気になるBASEのビジネスモデル

このセクションは余談になります。
「どうやってBASEはお金を稼ぐの?」という点が気になる人向け。

サービスの継続性を判断する上では、こういう部分の理解も重要です!

サイトを見てもどうやって収益化するかは読み取れなかったのですが、
こちらのブログ記事を読む限りでは、
将来的に有料のデザインテンプレートやオプション機能を提供する計画みたいですね。

「BASE」で無料ネットショップ開設できる訳

一種のアイテム課金型ビジネスモデルというわけです。

短歌の販売サイトで、
WEB画面や機能面での差別化なんてほとんど必要とされない
でしょうから、
基本機能だけで済むと思いますし、
まあそのあたりは気にしなくても良いのではないかと思います。


■BASE利用で想定されるリスク

と良いことづくめのBASEですが、
一応想定されるリスクを思いつくままにリストアップしてみます。

1.ビジネスモデルが破たんしてサービス停止

新しいビジネスモデルのサービスなので可能性としてはあり得るところ。
いざという時に通販ページを移行できるような対応策が必要かも。

2.ビジネスモデルが転換して有料化

これもあり得るシナリオです・・・・・・。
対応策としては1と同等ですね。
また他のチャネルと比較したり、同時利用でリスク分散するといった対応が必要だと思います。

3.サービスが頻繁に停止する

どれくらいのシステムリソースを準備しているかわからないですけど、
実績がないだけに、サービスが安定稼働しないリスクもあり得ます。

4.決済や個人情報などの管理で問題が起きる

どこまで機能面を担保して、
どこまでデータの安全性を担保するのかわからないのですが、
新興サービスなのでこういったリスクも頭に入れておく必要があると思います。
(とはいえそれ以上のことはできないわけですが)


■まとめ

新興サービスということで読み切れないリスクはありますが、
短歌販売のチャネルとして有力な選択肢になる可能性は大きいと思います!

試しに小さくはじめてみるのもアリだと思いますが、
まあしばらく様子を見て、サービスの評判を収集してから判断するのも賢いのではないかと。

このブログでは「作品の売り方」という切り口での記事を今後も書いていくつもりです。


ではまた。



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【第十五回文学フリマ】短詩系サークルレポート -全体的な感想とこうだったらいいのにな-

2012年11月18日(日)に東京にて開催された第十五回文学フリマに行ってきました。

もう一週間以上前になってしまいましたが、
主に短詩系サークルを見てまわりましたので、

今回はその全体的なレポートを「気になった点」「ちょっとした提案」というかたちでお届けします。

提案は単なる思いつきのレベルを超えるものではないので、
すでに参加している方々には釈迦に説法だと思いますが、
少しでも参考になればうれしいです。



■見てまわったサークルと会場のエリア分けについての感想


今回僕はお昼過ぎから会場入りしました。


お目当ての短詩系(短歌・俳句・川柳)サークルは

以下の図のような感じで出店エリアが固まっていたので見てまわるのは楽でした。

20121117_bunfree015_tanka_map_2f__2

また、出展者の立場でも、
ご近所サークルどうしでお客さんの出入りが生まれたりといった相乗効果も出やすいでしょうし、
このエリア分けはとても良かったと思います。

一方で、短詩系がひとつのエリアで固まっているということは、
小説だったり評論といった別ジャンルとはエリアが分かれているということです。

従って、

1.他ジャンルのサークル誌に短詩系作品が含まれていても気づきづらい
2.お客さんもエリアごとに攻めるのでジャンルの偶発的越境みたいなことが起こりづらい

といったデメリットもあるんだろうなあと想像します。

響きあう可能性がある他ジャンルのサークル同士で、
見本誌をブースに置きあうとか、委託しあうとか、
そういった交流が当日中に生まれるとおもしろいと思います。


■見本誌コーナーは大混雑していました

前回の記事でもオススメしたとおり、
実際に中身を確認できる見本誌コーナーはとても便利です。

今回も見本誌が決め手となって購入を決めた本もありました。

ただ一方で、

1.見本誌の数に対して一度に読める人数が少ない
(テーブルに置かれている見本誌は何十冊もあるのに
テーブル周囲の物理的な長さの制約で遊んでいる見本誌がたくさんある状態)

2.見本誌の位置がバラバラになってしまうのでお目当ての見本誌が探しづらい
3.そもそも見本誌があるのかどうかも定かではない

といったあたりの不便さもあるので、
このあたりが改善されると売上アップにつながる気がします。

あるいはそういう状態をひとまず前提として、
その上でどのようにしたら情報を伝えられるかを考えるのも手ですね。


■ブースのディスプレイはもっと工夫できそう

ブースのディスプレイの仕方については各サークルごとに特色がありました。
ただ、全体的に短詩系サークルは他のジャンルに比べると地味な印象です。

特に平面的なディスプレイは目立たないですよね。
人間の視点を考えると水平面より垂直面に情報を提示したほうがアピールすると思います!

テーブルにポスターを下げたり、
看板を立てたり、小さいイーゼルを使ったり、
手軽に立体的にディスプレする手段はたくさんあると思うので、
そのあたりにひと工夫あるといいのではないかと。

またこんな意見もありました。

短詩系の特徴を活かした実にまともなアイデアですね!

大事なのは「その本の最大の売りを最大限アピールする」ということだと思います。
それが短歌なら自信作をどーんと目立たせるといいし、
あるいは豪華なゲスト寄稿者ならその寄稿者の名前をどーんと出すのもいいのではないかと。


■ブースの雰囲気もだいじ

売り子さんやお客さんを含めたブースの雰囲気もだいじだと思いました。
ディスプレイ以外の部分で、注目させたり、立ち寄らせやすくするのはこの部分だと思います。

サークル「短歌なzine うたつかい」さんは、
ブース周辺に活気があってその点とくに良かったのではないかと。

当日多くの人を巻き込んで、
ある程度留めておくための手段もいろいろ考えられそうです。
(お客さんの邪魔になったら本末転倒なのでその点は注意が必要ですが)


■当日のリアルタイムな情報提供は価値がある

主にTwitterを通じて
リアルタイムな情報を提供していたサークルもたくさんありました。

販売状況とか活気とか、そういったものが現場にいる時に伝わると、
自然と足を運んでみたくなるので、こういった情報提供は重要だと思います!

特に開場してまもなくのタイミングで、
ブースの様子を画像で提供するのは、
ブースの様子が一発で分かるのでとても有効
じゃないかと。

ひとりで出店しているとなかなか手が回らないと思うので、
そういう意味でも協力者が何人かいるといいですね。


■でも事前の情報提供のほうがもっと重要かも

こちらもTwitterを通じて
販売する予定の本の紹介をしているサークルはたくさんありました。

ただ、Twitterの情報提供が断片的な情報だったり、
購買意欲を喚起しない情報だったりして、もったいないなあと感じることも多かった
です。

見本誌コーナーも含めて、
当日現地で伝えられる情報量とリーチできるターゲット数は限られているので、
事前の情報提供はかーなーり重要だと思います!

少なくとも情報提供用のWebページを準備して、
Twitterではそのページへの誘導を図るとともに、
ページを見たくなるような商品の売り(本を代表する短歌など)を
Tweetの地の文に書く
などの工夫が必要だと思います。

少なくともブース位置の情報とかは個人的には要らない気がします!

また、Twitterで宣伝するにしても、
それがどれだけ多くの人に目に触れるか、
どうすればより多くの人に読んでもらうことができるかを工夫するのも重要ですね。


■文学フリマ以降の販売機会への導線をつくる

今回かなりのサークルで売り切れが発生していました。
すばらしいですね!

ただ、違う見方をすると機会損失を起こしているわけです。

とはいえ、
ああいう需要予測が難しいイベントでは
売り切ってしまえるくらいの控えめな見積のほうがいいんだろうなあとも思います。

結局買いに来られる人も関東近辺の人に限られちゃいますしね。

そこで重要なのは、
通販など、文学フリマ当日以降に販売する機会へ
当日その場できっちり導線をつくることだと思います!


「短歌なzine うたつかい」さんなどは、
その場で通販の申し込みを受け付けしていましたが、
こういう姿勢が大事だと思います。

また、遠隔地に住んでいる方からしてみれば、
なるべくはやく話題の商品を手に入れたいと思っているわけで、
そんな購買意欲が高まっている絶好の時期に
「通販ページは準備中です」みたいな状況は非常にもったいない
です!

多忙の中でなかなか厳しい面もあるとは思いますが、
通販ページなどは事前に準備しておいて、
文学フリマ開場と同時くらいにオープンするのがベスト
だと思います。


■まとめ

最後に提案内容をまとめておきますね。
アイデアは一例でしかも表面的なレベルですが考える取っ掛かりになれば。

  1. サークル同士で協力しあう
  2. 見本誌コーナー対策を講じる
  3. ブースのディスプレイを立体的に目立たせる
  4. お客さんを立ち止まらせることのできるキャッチーな売りをどーんと
  5. 立ち寄りやすいブースの雰囲気づくりのポイントは人
  6. 当日のリアルタイムな情報提供でお客さんを呼び寄せる
  7. 事前に提供する情報をもっと豊かに、もっと多くの人に
  8. 通販への誘導など文フリ以降の販売機会へきっちり導線をつなげる

尚、このうち通販サイトについては
タイムリーなニュースもあったので、別に記事を書く予定です。

ではでは。

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