カテゴリー「ちょうその他あつかい」の25件の記事

2014年2月 1日 (土)

姉妹ブログ「短歌紳士」開設のお知らせ

題詠blog専用ブログとして「短歌紳士」を開設しました。


本ブログとあわせてご愛顧よろしくお願いします!

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2012年7月30日 (月)

【その他】謎のニーズにお応えして小学校の卒業作文を紹介

こんにちは。どういたしまして。
僕です。

今日は謎のニーズにお応えして
僕の小学校の卒業作文をWikileakします!
(そんなニーズはない)

かつてのホームページとか某所で公開したことがあるので
見たことがある人もいると思いますが、まあいいじゃないか。

Img



400字詰め原稿用紙ぎりぎりに納めている
ところに性格を感じますね・・・・・・。
そして人間ってあんま変わらないもんですね・・・・・・。

ちなみに当然のことながらクラスは6年3組でした。

みなさんの卒業作文も読んでみたいので
せいぜい公開するがいい。

ではまた。



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2011年9月24日 (土)

センス・オブ・ワンダー

こんにちは。僕でした。

前回の記事は、いきなりブックレビューということで、
4冊の本を紹介しました。

鋭いお方はお気づきになられたでございましょうし、
鈍い奴らは気づかなかっただろうが、
すべて自然科学系か実用書の類で小説やエッセイは1冊もありません。

これは偶然ではありません。
何故なら文科系サイトを標榜しながら小説の類はほとんど読まないからでR!(どーん)

もちろんまったく読まないわけではないんですが、
その読書量はとても限られたものです。

小説は1年で5冊読めばいい方で、
ここ数年の平均は3冊/年くらいだと思います。

中学生くらいまではもう少し読んでいたんですけど。

ただ僕は思うんですけど、
文科系で表現を志す人たちは、
同じジャンルの本を読むよりは違うジャンル、
それも自然科学とか実用書を読んだほうが実りが多い気がします。

なんだろう。

応用された加工物より素材そのものに触れたほうが発想が広がるみたいな?
創作お寿司をつくるのに、お寿司を食べるよりカジキを一本釣りしたほうが松方弘樹的な?

わかんないけど。

あるいはニコラス・タレブのこんな言葉がヒントになるのかも。

芸術は驚くべき方法で驚くべき結果を出す。
自然科学は退屈な方法で驚くべき結果を出す。

自然科学や実学にもワンダーはある。

それを知らないでいるのはもったいないことだし、
表現に取り入れない手はないと僕は思う。

この秋は一冊だけ小説を読むのをやめて、
かわりにそういう本を読んでみてはいかがでしょうか。


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【いきなりブックレビュー】僕はこんな本を読む女の子を好きになってきた

こんにちは。秋ですね。
今日の東京は秋晴れの気持ちのいい一日でした。

食欲の秋とか芸術の秋とか、
煮え切らない態度で人をいらいらさせることに定評のある秋は読書の秋でもあります。

ということで大き目の本屋に行って本を立ち読みしてきました。
しかし世の中にはいろいろな本があるもんですね。

麻酔の達人-実践麻酔手技免許皆伝-

著者:中田善規

麻酔の達人-実践麻酔手技免許皆伝-

これなんかどう見ても表紙の医者がマッドサイエンティストです。
本当にありがとうございました。

カラーで見やすいんですけど各セクションで挿入される名言もちょっとヤバイ感じです。
だいじょうぶか。麻酔医。

ちなみに定価10,000円。

お高いですが医大生との合コンの指定テキストなので、
長期投資と思って購入してくださいね?

マンガでわかるコンクリート

著者:石田 哲也

「コンクリートのことが気になるけど専門書はちょっと・・・」

とか

「小学生の息子にコンクリートのことをわかってもらいたいのですが・・・」

というよくある悩みに応える一冊がこちら。

コレを読めばセメントとコンクリートの違いがわかるようになりますよ?

イモムシハンドブック

著者:安田 守

イモムシハンドブック

オールカラーが嬉しいイモムシ好き必携の一冊がこちら。
しかし世界には変な形をした生き物がいるもんですね・・・・・・。

立ち読みしながら思ったんですけど、
こういう本を読みながらにやにやしている女の子がいたら恋に落ちる気がする。

「理系の変なもの好き女子萌え」というマーケットは確実にありますよお客さん!

ナショナル・ジオグラフィックの絶滅危惧種写真集 (P-Vine Books)

著者:ジョエル・サートレイ

ナショナル・ジオグラフィックの絶滅危惧種写真集 (P-Vine Books)

そして今日一番のおすすめがこの写真集。
衝動買いしてしまいました・・・・・・。

すべての写真は白か黒一色の背景で撮影されていて、どれもがとにかく美しい!

個人的にはクロアシイタチのキュートさにキュン死にしました・・・・・・。
クロアシイタチたんはあはあ。

ということで特にオチもないですが以上!
いつもオチがあると思ったら大まちがいだからな!(逆ギレ)

それではまた。


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2011年9月15日 (木)

ウィトゲンシュタインの物差し

# 今日は仕事で力つきたので某所からの転載です


こんにちは。あたいだよ。
今日は「ウィトゲンシュタインの物差し」の話をします。

これは、最近読んだ『まぐれ』という本の中に
ちょろっと出てくる言葉で、著者の造語です。


■実名vs匿名論争ふたたび

さて、話は変わるようですが、
ちょっと前に「実名vs匿名論争」がTwitter上で盛りあがりましたよね。

全部は読んでないのですが、
議論の軸のひとつに「説得力」があったと記憶しています。

実名のほうが説得力がある、
と主張できる根拠はいくつか思いつきますが、
「発言者を信頼しやすい」ことがひとつ大きな根拠になりそうです。

でも、なんで信頼できることが大事なんでしょうね?

そこで「ウィトゲンシュタインの物差し」の出番です!


■当てにならない物差しは何を測っているのか?

これはベイズ統計で使われる
「条件付情報」という考えがベースにあります。

以下『まぐれ』から引用します。

-----------------

誰かが何かを言うとき、
その人が十分にふさわしい条件を持っていないかぎり、
伝えようと思ったことよりもむしろ、
その人自身のことのほうがずっと明らさまになる。

*

好意的なものでも否定的なものでも、
書評は本そのものよりも書評を書いた人のことをいろいろと描き出す。

*

物差しでテーブルの長さを測っているとき、
とても信頼できる物差しでなければ、
同時にテーブルで物差しの長さを測っていることになる。

*

物差しが当てにならなければならないほど、
得られる情報は物差しに関するものが多くなり、
一方テーブルに関するものは少なくなる。

*

アマゾン・ドット・コムに名無しの読者が書く書評は
書評を書いた人自身についてしか語らない。
一方、能力のある人が書いた書評からは本に関する情報がたくさん得られる。

-----------------

つまり、信頼できない人であればあるほど、
その発言の内容そのものではなく、
その人自身の思考力が評価されてしまう、というようなことです。

ウィトゲンシュタインの物差しからすると、
匿名の人の発言に説得力がないのは当然というわけですね!


■ちゃぶ台がえし

さて、鋭い人は気づいていたと思うのですが、
ここまでの話は、

・実名→信頼できる→発言の内容について情報が豊富→説得力が高い!

・匿名→信頼できない→発言者自身についての情報ばかり→説得力が低い・・・


という因果関係を暗黙の前提としていました。

でも実名だから信頼できるかと言ったら必ずしもそうじゃないですよね。
(匿名だから信頼できない、とは言えるかもしれないけど)

むしろこの場合の実名は「有名」に置きかえたほうがいいかもしれません。

そして確率論に根ざした
「ウィトゲンシュタインの物差し」が主張する事柄にも注意が必要です。

どういうことかと言うと、この考えってすごーく理性的なわけです。
そして僕たちはものすごーく情緒的な生き物なので、
あまり複雑なことは(頭ではわかっていても)心ではわからなかったりします。

つまり簡単に言ってしまうと、

「実際の発言に接したときにそんなこと考えねえよ!」

ということです!(どーん)

最後にふたたび『まぐれ』から引用します。


-----------------

私の情緒システムはウィトゲンシュタインの物差しがわからない。
その証拠に、褒められれば褒めてくれた人が誰だろうとうれしい。

-----------------


ま、そういうことですねー。



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2011年9月12日 (月)

短歌おじいちゃんの知恵袋 其の一

こんばんは。
短歌おじいちゃんじゃよ。

ほっほっほ。

いきなりの新きゃら出現に驚いている
みなの顔が目に浮かぶようじゃわい。

喝!(えー)

新きゃらの出現程度で驚いておるとは情けない……。
お里が知れるとはこのことじゃな!

はあはあはあ。

まあよい。
今日はねたもないので軽いおしゃべりじゃ。

*

突然じゃが、

「おもしろければなんでも許されるのか?」

とか言う人がおるじゃろ?

ぶ、ぶら、ぶらっくゆーもあ(ふがふが)を不謹慎と断ずる御仁じゃな。

確かに微妙な冗談というのはありそうじゃ。

深く考えると難しい問題かもしれん。

しかしわしは思うんじゃが、

「おもしろいと思った時点でその人はその発言を許している」

ということは言えるんじゃないかのう?

そうだとすれば、

「おもしろければなんでも許される」

と言うことになりそうじゃし、

「おもしろければなんでも許されるのか?
と思う人は、おもしろくないから許していないだけ」

ということなのかもしれんなあ。

*

まあこの話に落ちはないんじゃが、
もしお主たちが、ぶ、ぶら、ぶらっくゆーもあ(ふがふが)に傷ついたときには、

「おもしろければなんでも許されるのか?」

と問うよりも、

「つまんね」

と切り捨てたほうが有効なんじゃないか、と短歌じじいは思うわけじゃ。

*

まあ老い先短いじじいのつまらんお節介と思って聞き流しておくれ。

それではさらばじゃー。

地獄で待っておるぞー。

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2011年9月11日 (日)

911から10年 - 映像の力と不公平さについて考えた

911から10年ということで、その当時考えたことを少し。

*

2001年9月11日、日本時間の22時ごろ、
ニューヨークのワールドトレードセンタービルに旅客機が体当たりするテロ事件が起きた。

当時21歳で、学生だった僕は、八王子で友達と飲んだ帰りで、
相模原に向かう横浜線の社内で出発を待っていた。

その時、携帯に見慣れないメールが届いた。

それはJ-Phone(!)から初めて届いた緊急メールで、
飛行機がワールドトレードセンターに突っ込んだと書いてあった。

戦争だ。

そんなふうに思ったことを覚えている。

*

家に帰ってTVをつけると飛行機がビルに突っ込みビルが倒壊するという
現実離れした映像が繰り返し流されていた。

しばらくしてそれがイスラム過激派のテロ行為だということがわかった。

当時住んでいたマンションは米軍基地のすぐ近くだったので、
個人的にもテロの恐怖はそれなりに実感があった。

ご存知のとおり、あの事件の後、
アメリカそして世界はアフガニスタンそしてイラクとの戦争に突き進んでいくことになる。

今考えるとあの事件がアメリカのプレゼンスの低下、世界の無極化のはじまりだったのかもしれない。

*

さて、今回僕が書きたかったのは、そんな壮大な話ではない。
僕が書きたいのは「映像の力」とそれがもたらす「不公平さ」についての話だ。

*

後に「アメリカ同時多発テロ事件」と呼ばれる事件は、
世界中に大きな驚きと同情をもたらした。

アメリカに対する同情と連帯の意識。
そしてテロに対する怒りは世界的に広がったし、
それがアフガニスタンやイラクに対する戦争に
国際的な正当性を与えることにもなった。

直接の犠牲者だけで、
約3000人もの人びとが亡くなったわけだからそれも当然のように思える。

でも本当にそうなのだろうか?

*

大手国際NGOのオックスファムによると、
規制されていない武器による死者は1年で50万人(1日に1440人)に達するらしい。

あるいは、清潔でない水を飲んだことによる、
下痢性疾患で亡くなる子どもの数は1日に5000人に及ぶそうだ。

世界中に悲劇はあふれている。

でもこれらの悲劇はアメリカ同時多発テロ事件ほどの同情を集めていない。
同じくらいの犠牲者が毎日のように出ている現在進行形の悲劇であるにも関わらず。

*

理由はいくつか考えられるけど、
大きな理由のひとつが「映像の存在」だと思う。

どこか遠くの発展途上国で起きているような
規制されていない武器による事件はニュースになることはない。

それに大して、ワールドトレードセンタービルに旅客機が突っ込む映像は、
世界中で何回も何百回も放送された。

映像があるからこそ、被害の実態や悲劇の度合いが実感的に理解できる

でも「下痢性疾患で1年で50万人の子どもが死んでいる」というのはただの文字情報だ。
それを実感的に理解するのは難しい。

少なくとも大勢の人たちにとっては。

*

映像の力はすごい。

それによって僕たちは被害者の心情をより理解できるようになる。

でもそれは、同じような悲劇があったとしても、
映像がなければ、その分理解されないということを意味している。

映像は不公平だ。

そして世界で現在進行形で起きている悲劇は、
まさにそんな不公平さの犠牲者でもある。

*

911から10年。
そして311の東日本大震災から半年。

犠牲者を悼むときには、
思いだされることのない多くの犠牲者のことも忘れないようにしたい。

世界が不公平ならば、
僕は不公平に扱われる人たちに光をあてる人間でありたいと思う。

とても難しいことだけど。

*

まじめか。(たまにはなー)



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2011年9月10日 (土)

嫌な性格の人たちは胸熱まちがいなしの5つのTwitter改善案

こんにちんこ。(深夜なので)
おはようございます。下ネタです。

日付変わるまで働いて、明日も休日出勤です。
そんなフラストレーションをぶつけるように今日はTwitterをDisってやります!



■Twitterとの出会い

僕がTwitterをはじめたのは2009年の8月ごろです。
世界一周している途中のネパールでアカウントを取りました。(実話)

もっとも、その頃のアカウントはほとんど使うこともなく、
帰国してしばらくたった2010年4月に
現在の tankawolf というアカウントを取得して本格的につぶやきはじめました。

なので、その頃から数えると1年半くらいのTwitterユーザーです。



■Twitterづかれ

そんなTwitter男子な僕なんですが、最近ほとほとTwitterにつかれました……。
なぜだろうと考えてみると、どうもmentionというのが好きじゃないようです。

いや、自分にあてられたmentionはむしろ大好物なんですけど、
そのmentionにReplyしないといけないのが嫌なんです。(くずが)

もっと嫌なのはTLがmentionのやり取りで埋まっている状態ですね。
なんかチャットみたいになっていて自分が蚊帳の外に置かれている感じ……。

かと言ってアンフォローすると角が立つし、
別にふだんのツイートはおもしろいし……
ということで板ばさみになってつかれきっちゃうみたいです。

貴様らはそんなことないですか?(言葉づかい自重)



■こんな機能がTwitterにあれば……

まあdisるだけだと建設的ではないですし、
最後にTwitterにあったらいいと思う機能を提案してみます!



1.指定した時間帯で特定のフォロワーの発言をシャットアウト(ゴッドタイム)

特定の時間帯にツイート数が増えたり
ツイートの内容がめんどくさい感じになる人がいる。

そういった人に対して、
特定の時間帯は発言をTLに表示しないような機能があるといいなあ。



2.特定のフォロワーの発言を間引く(つぶやきシェイピング)

百発百中でおもしろい内容をTweetしてくれる人がいない一方で、
ほぼ百発百中でつまらない内容をTweetしやがる人はおおぜいいます。

そういう場合は5分の1とか10分の1とかに発言を間引いてくれるとありがたい。



3.フォローしたまま発言だけシャットアウト(忍者リムーブ)

アンフォローすると角がたつので、アンフォローはできない。
しかし、Tweetは読みたくない。

そんなジレンマを解消するために、
フォローしたまま発言だけシャットアウトする機能が欲しい。


※複数の方から教えてもらいましたが、すでに「ミュート機能」というのがあるそうです。恐ろしい世の中やで・・・!



4.フォローしている人をTL上にシャッフル召喚(タイムラインシャッフル)

フォローする/しないを意識的に選択することが苦痛だったりする。

フォロワーをプールしておいて、
定期的(日ごととか)にそのプールからシャッフルして
TL上にTweetに表示させるメンバーをランダムに選ぶ、みたいな機能があればなあ。



5.自分に無関係なmentionなんて……シャットアウト!(いちゃいちゃ殺し)

とにかく自分に無関係なチャットみたいな会話は不愉快!
俺も仲間に入れろ!(えー)

ということで自分宛てではないmentionはすべてTL上に表示しない機能が欲しい。
これは本気だぞ。

今すぐにだ



■結論

要望を書けば書くほど、
僕自身が身勝手でめんどくさい人間であることがあらわになるようですね……。

おかしいな。

まあ、そんな感じでTwitterとは冷戦状態がつづいてはいるんですが、
そのうち講和条約を結べればいいなと願っています。

それでは貴様らおやすみなさい


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2011年4月29日 (金)

【その他】小名浜港の女

※写真は後日追加します

こんにちはです。

今日からゴールデンウィークですね!
10連休なんていう人もめずらしくないとか。

そしてこの長期連休を利用して
東日本大震災の被災地にボランティアをしに行く人もいるそうです。

なんか観光気分で大挙押しかけて、
受け入れ側もありがた迷惑だとかなんとか。

まったく、ろくでもないですよねー
そんな大人にはなりたくないものですなー。┐(´д`)┌ヤレヤレ

そんなわけで今日僕は福島のいわき市にボランティアに行ってきました!(おい)

もう「偽善者」でもなんでも好きに罵倒してください。
「カジュアル偽善」とか「ファッションボランティア」でもよかろう。

実際に動機なんて別にたいそうなもんじゃないですし。
強いて言うとまあ・・・・・・そこに愛があるからかな・・・・・・。ううん

ほんとうは南相馬市に行きたかったのですが、
諸般の事情で急遽いわき市(小名浜港のあたり)に行くことにしました。

簡単にレポートをまとめますので、興味がある方は参考にしてください。


■ゴールデンウィークのボランティア受入情報

全般的に供給過剰のようです。
ただし地域差あり。

付け加えると、人手は足りないものの、
受け入れ側のキャパシティをオーバーしているために受け入れられないという状況。

また受入状況は日に日に変わっています。
必ず前日に災害ボランティアセンターに状況を確認してください。

南相馬市など、TV報道が少なかったり、
原発に近いところは、今でも十分なボランティアが確保できていないようです。


■ボランティアは本当に役に立つのか

立ちます。1日でも半日でも1時間でも役に立つことができます。

というのも今一番ニーズが高いのが、被災家屋のガレキ撤去などで、
これは単純にマンパワーが要求される仕事だからです。


■被災地の状況は?

場所によって様々ですが、震災から一ヶ月以上が経過していて、
物資が届かないというところはほとんどなさそうです。

現在でも原則は、
「食料・水・宿泊場所は自分で用意。現地に迷惑はかけない」
というものですが、場所によってはお金を落としたほうが復興に役立つ地域もあります。


■いわき市の被災状況

沿岸部が広く津波で被災しましたが、
沿岸から1-2kmの比較的狭い範囲に被害が集中しているのが特徴です。

実際ボランティアセンターがある辺りは、
地震の影響がまったく感じられず、日常そのもので、
「ボランティアする仕事があるんだろうか・・・・・・」と不安に思ったほどです。

したがって同じいわき市民でも、そのエリアに入っているかどうかで、
震災/復興に対する意識に大きな乖離があり、そこが長期的に問題になりそうです。

なお被災の原因はほとんどが津波であり、
揺れで倒壊した建物はほとんど見当たりませんでした。

津波にしても、家屋が流されて集落が跡形もなくなった、という感じでは全くありません。

1階の天井近くまで土砂混じりの海水が押し寄せて、
家財道具や商売道具が使えなくなり、住居を放棄、という状態のようでした。


■なにをやったの?

魚料理を経営していたお店でガレキの撤去作業を行いました。
みんなスコップや土嚢袋を手にして、最終的には10人以上で手分けして作業する感じ。

依頼内容の大枠は事前に決まっているようですが、
家主さんからニーズを聞き取りながら詳細を詰めていく、
自発的にニーズを汲み取って行動する、というのが基本的なスタイルのようです。

休憩中には家主のおばあちゃんから地震当日のおはなしを聞いたりしました。


■感想

自分のやったことが、すぐに目に見える結果になって表れたり、
相手から感謝されるのはきもちいいなーと単純に思いました。

ゴールデンウィーク中は人手に困ることはなさそうですが、
その期間ですべての仕事が片付くわけでもなく、復興にはながーい時間がかかります。

2回目に行くとしたら、みんなの関心が薄れて、人手が足りなくなった頃に行きたいと思います。


■最後に交通状況

今回当日の深夜から早朝にかけて車で出発し、現地には10時半ごろに到着しました。
ゴールデンウィーク初日ということもあって道路はそれなりに混雑します。

時間が読めない上に、早起きによる寝不足と肉体労働の疲労があいまって、
車での移動は事故の危険が高い
です。

何人か交代で仮眠を取れる状況でなければ、
仮眠が取れるように、時間に十分な余裕をもっていくか、
電車など他の交通機関を利用することをおすすめします!

それではまたー。

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2010年12月 4日 (土)

まだ見ぬ息子におくる手紙

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2010.12.3に、Twitterでつぶやいた内容の再編集版です。ラスト五文字の破壊力をご堪能あれ。2回目は「息子」をラスト五文字に置き換えて読んでください。全然違う意味に聞こえます

息子よ。

人間の価値を決めるのは、器の大きさでも、入っている水の量でもなく、
器いっぱいに注げたかどうかじゃないか?

能力のある人はすごいと思うし感心もするけど、それだけじゃ尊敬できない。
逆に能力がなくても精一杯努力している人は尊敬できる。

だから、ちゃんと努力できる人間になりなさい。

アタマとカラダを使いきって死ぬこと。
それが究極の目標だ。

おちんちん

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